
アルブレヒト・デューラー 6
「ヨハネ黙示録」で名声を高めたデューラーは、美術家としての自信を表す、ヴェネツィア・モードを着けた自画像(1498年)を描いている。
1500年、28歳の時の正面を向いた自画像は、神の裁きを予感した不安と恐怖の世紀末が終わり、新しい世紀を迎えたデューラーの心情を表しているように思える。
人体均衡論
デューラーは、1500年、ニュルンベルクへ宮廷肖像画家としてやってきたイタリア人、ヤコポ・デ・バルバリから、人間の顔を含めて自然のすべてのものは数と調和で表現される秩序に従う、という人文主義思想を教えられた。バルバリは、人体比例論に基づく男女の像を見せてくれたが、その根拠は教えてくれなかったと、1523年の「人体均衡論」献辞草稿に書いている。デューラーの美術理論研究「人体均衡論」は没年の1528年に出版された。
デューラー
アダムとエヴァ 1504年
銅版画 24.8×19.2cm
ウィーン アルベルティーナ素描版画館

1500年、28歳の時の正面を向いた自画像は、神の裁きを予感した不安と恐怖の世紀末が終わり、新しい世紀を迎えたデューラーの心情を表しているように思える。
人体均衡論
デューラーは、1500年、ニュルンベルクへ宮廷肖像画家としてやってきたイタリア人、ヤコポ・デ・バルバリから、人間の顔を含めて自然のすべてのものは数と調和で表現される秩序に従う、という人文主義思想を教えられた。バルバリは、人体比例論に基づく男女の像を見せてくれたが、その根拠は教えてくれなかったと、1523年の「人体均衡論」献辞草稿に書いている。デューラーの美術理論研究「人体均衡論」は没年の1528年に出版された。
アダムとエヴァ 1504年
銅版画 24.8×19.2cm
ウィーン アルベルティーナ素描版画館

ウィトルヴィウス「建築十書」を読み、おそらくマンテーニャなどの模写で知った、ローマにあった古代の「ベルヴェデーレのアポロン」に関する男性裸体像の素描を書いている。
人体の理想的プロポーションをコンパスと定規で構成できると考えたデューラーは、裸体の各部分の位置と大きさを男女別に円弧と直線で決め、それを輪郭線でつないで全体像を作った。その後、紙を裏返して、輪郭をなぞり、肉付けと細部を描き足した。そうしてできた男女を一枚の紙面に組み合わせたのが「アダムとエヴァ」だった。アダムとエヴァは堕落(原罪)前の人間の理想的な存在と考えられていて、デューラーは美しい完全な人間の姿の原型としてこの二人を選んだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチも 人体均衡図(ウィトルヴィウス的人体 1490年頃)を描いている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
人物略歴 デューラー7 8 1 2 3 4 5
デューラー
アダム 紙 ペン
26.5×16.7cm
ウィーン アルベルティーナ素描版画館
人体の理想的プロポーションをコンパスと定規で構成できると考えたデューラーは、裸体の各部分の位置と大きさを男女別に円弧と直線で決め、それを輪郭線でつないで全体像を作った。その後、紙を裏返して、輪郭をなぞり、肉付けと細部を描き足した。そうしてできた男女を一枚の紙面に組み合わせたのが「アダムとエヴァ」だった。アダムとエヴァは堕落(原罪)前の人間の理想的な存在と考えられていて、デューラーは美しい完全な人間の姿の原型としてこの二人を選んだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチも 人体均衡図(ウィトルヴィウス的人体 1490年頃)を描いている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
人物略歴 デューラー7 8 1 2 3 4 5
アダム 紙 ペン
26.5×16.7cm
ウィーン アルベルティーナ素描版画館
