
アルブレヒト・デューラー 1
アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer
(1471〜1528)
ニュルンベルクに生まれ、金細工師の父のもとで家業を継ぐために修業していた。しかし絵画への興味が強くなり、1486年、15歳の時、近くに住む画家ミヒャエル・ヴォルゲムートに弟子入りした。
当時のニュルンベルクでは、裕福な都市市民による祭壇画などの寄進がおこなわれ、美術家の制作活動は活発だった。ハンス・プライデンウルフの工房を継いだヴォルゲムートは、工房を大きくし、遠くの都市からの祭壇画制作の注文も受けていた。
1489年の末までにデューラーがヴォルゲムートの工房で学んだのは、絵画より木版画だった。15世紀半ばにグーテンベルクによって発明された活版印刷術は、挿絵としての木版画の発展を促した。
ドイツでの書物印刷のひとつの中心地となったニュルンベルクで、ヴォルゲムートは木版画制作を従来の挿絵師から画家の仕事とし、印刷業者と対等の立場で書物の出版に関わった。彼の工房では多くの挿絵彫り師と下絵師が働いていて、デューラーも下絵師になるための修業をしていたらしい。
世界美術大全集14 北方ルネサンス 人物略歴
デューラー2 3 4 5 6 7 8ミヒャエル・ヴォルゲムート
骸骨の踊り ハルトマン・シェーデルの「世界年代記」
アントン・コーベルガー刊 ニュルンベルク 1493年
木版画 ベルリン 国立版画館
(1471〜1528)
ニュルンベルクに生まれ、金細工師の父のもとで家業を継ぐために修業していた。しかし絵画への興味が強くなり、1486年、15歳の時、近くに住む画家ミヒャエル・ヴォルゲムートに弟子入りした。
当時のニュルンベルクでは、裕福な都市市民による祭壇画などの寄進がおこなわれ、美術家の制作活動は活発だった。ハンス・プライデンウルフの工房を継いだヴォルゲムートは、工房を大きくし、遠くの都市からの祭壇画制作の注文も受けていた。
1489年の末までにデューラーがヴォルゲムートの工房で学んだのは、絵画より木版画だった。15世紀半ばにグーテンベルクによって発明された活版印刷術は、挿絵としての木版画の発展を促した。
ドイツでの書物印刷のひとつの中心地となったニュルンベルクで、ヴォルゲムートは木版画制作を従来の挿絵師から画家の仕事とし、印刷業者と対等の立場で書物の出版に関わった。彼の工房では多くの挿絵彫り師と下絵師が働いていて、デューラーも下絵師になるための修業をしていたらしい。
世界美術大全集14 北方ルネサンス 人物略歴
デューラー2 3 4 5 6 7 8
骸骨の踊り ハルトマン・シェーデルの「世界年代記」
アントン・コーベルガー刊 ニュルンベルク 1493年
木版画 ベルリン 国立版画館
ヴォルゲムートは印刷業者でデューラーの名親でもあるアントン・コーベルガーと組んで、多くの挿絵を含むシュテファン・フリドリンの「宝箱(1491年)」や650種ほどの挿絵で飾られたハルトマン・シェーデルの「世界年代記」を出版した。この「世界年代記」を購入するためにイギリス王ヘンリー8世は牛5頭分に相当する66シリング8ペンスを支払ったとされる。
