
アルブレヒト・デューラー 7
ヴェネツィアにあるドイツ人の教会サン・バルトロメオに奉納する祭壇画制作の依頼があり、1505年デューラーは再びヴェネツィアを訪れた。(ペストの流行から逃れるため、版画の模作品の問題もあったらしい)現在プラハにある「ローゼンクランツフェスト(薔薇冠祝祭図)」。銘文に「ドイツ人アルベルトゥス・デューラー、1506年、5カ月間にてこれを作る」と記されている。17世紀初め、ルドルフ2世によってプラハの宮廷に移された。
デューラーは友人ピルクハイマーに、版画は上手だが絵画の色の扱い方を知らない、と言っていたイタリアの画家たちが、この画面以上に美しい色彩は見たことがない、こんな上品で美しい絵画は見たことがない、と言っていると伝えている。デューラーが「絵画で最良の人」と尊敬するジョヴァンニ・ベリーニが住むヴェネツィアでこの作品は高く評価された。しかし、宗教戦争で大きな損傷を受け、画面の大部分から当初の輝きが失われてしまっている。
ヴェネツィア滞在中の作品には、到着後最初に描かれたとされる「若いヴェネツィア婦人の肖像(1505年)」、レオナルド・ダ・ヴィンチの戯画風人物がいる「博士たちのなかの12歳のキリスト」、込められた意味が不明な「金袋を持つ老女」などがある。
デューラーは友人ピルクハイマーに、版画は上手だが絵画の色の扱い方を知らない、と言っていたイタリアの画家たちが、この画面以上に美しい色彩は見たことがない、こんな上品で美しい絵画は見たことがない、と言っていると伝えている。デューラーが「絵画で最良の人」と尊敬するジョヴァンニ・ベリーニが住むヴェネツィアでこの作品は高く評価された。しかし、宗教戦争で大きな損傷を受け、画面の大部分から当初の輝きが失われてしまっている。
ヴェネツィア滞在中の作品には、到着後最初に描かれたとされる「若いヴェネツィア婦人の肖像(1505年)」、レオナルド・ダ・ヴィンチの戯画風人物がいる「博士たちのなかの12歳のキリスト」、込められた意味が不明な「金袋を持つ老女」などがある。
ニュルンベルクに戻った後、二つの形式の作品を描いている。中型の画面に多くの人物が登場する「一万人のキリスト者の殉教」「聖三位一体の礼拝」と大型画面に単独像か少数の人物像を描く、南欧風色彩の「アダム」と「エヴァ」の油彩対幅、「聖母の被昇天と戴冠(ヘラー祭壇画中央図 17世紀のコピーが残る)」、晩年の「四人の使徒」。
1510年代になると、1511年に「ヨハネ黙示録」「大受難伝」「聖母伝」を書物の形で再版。1513〜14年には、銅版画「騎士、死、悪魔」「メランコリア1」「僧房の聖ヒエロニムス」を出版している。1512年から皇帝マクシミリアンに仕えて、大きな出版計画に携わることになった。190個の版木を使う「凱旋門」、長さ54メートルになる「凱旋車」、特別な「祈禱書」の周縁装飾。クラーナハ、アルトドルファーなどドイツの美術家を総動員したものだったが、「凱旋門」のほかは大部分未完に終わった。油彩の作品は「ミヒャエル・ヴォルケームードの肖像」「聖アンナと聖母子」など。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
人物略歴 デューラー8 1 2 3 4 5 6
1510年代になると、1511年に「ヨハネ黙示録」「大受難伝」「聖母伝」を書物の形で再版。1513〜14年には、銅版画「騎士、死、悪魔」「メランコリア1」「僧房の聖ヒエロニムス」を出版している。1512年から皇帝マクシミリアンに仕えて、大きな出版計画に携わることになった。190個の版木を使う「凱旋門」、長さ54メートルになる「凱旋車」、特別な「祈禱書」の周縁装飾。クラーナハ、アルトドルファーなどドイツの美術家を総動員したものだったが、「凱旋門」のほかは大部分未完に終わった。油彩の作品は「ミヒャエル・ヴォルケームードの肖像」「聖アンナと聖母子」など。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
人物略歴 デューラー8 1 2 3 4 5 6