ルネサンス以前のイタリア絵画 5
1335年ミラノ君主アッゾーネ・ヴィスコンティは自らの邸館の装飾のためにジョットを招いた。その作品は伝わらないが、ギベルティは「俗人の栄光(虚栄)」の寓意画と伝え、ペトラルカの「名士列伝」三つの写本挿絵などで再構成される。
ロンバルディア地方でのジョット様式を伝えるのがヴィボルドーネのウミリアーティ会修道院の壁画。アヴィニョンの教皇宮廷やブルゴーニュ侯国、フランス王家との交易や婚姻による密接な関係によって、フランスのゴシック様式が入り、世俗的で宮廷的趣向の美術が発展した。1370〜80年頃にパリで始まった国際ゴシック様式は、ミラノ大聖堂造営と時期が重なり、造営局にはジャック・ケーヌ(プシコーの画家)などドイツ、フランス、ネーデルラントから多くの画家が招かれた。
北イタリアのヴェローナ、パドヴァと比べ壁画は多く残り、板絵はほとんど残っていない、壁画と関連する写本挿絵は多く制作されている。 ベリー公ジャンの財産目録に「ロンバルディアの作品」と記されているのは「医学的健康早見表」。ロンバルディア特有の写本類とされている。
ロンバルディア地方でのジョット様式を伝えるのがヴィボルドーネのウミリアーティ会修道院の壁画。アヴィニョンの教皇宮廷やブルゴーニュ侯国、フランス王家との交易や婚姻による密接な関係によって、フランスのゴシック様式が入り、世俗的で宮廷的趣向の美術が発展した。1370〜80年頃にパリで始まった国際ゴシック様式は、ミラノ大聖堂造営と時期が重なり、造営局にはジャック・ケーヌ(プシコーの画家)などドイツ、フランス、ネーデルラントから多くの画家が招かれた。
北イタリアのヴェローナ、パドヴァと比べ壁画は多く残り、板絵はほとんど残っていない、壁画と関連する写本挿絵は多く制作されている。 ベリー公ジャンの財産目録に「ロンバルディアの作品」と記されているのは「医学的健康早見表」。ロンバルディア特有の写本類とされている。
ロンバルディアの写本芸術の評判を西欧に広げたのがジョヴァンニーノ・デ・グラッシ(活動期1389〜1398)とその弟、息子によって経営された工房。ジョヴァンニーノは1389〜98年に大聖堂造営所で建築家・彫刻家として働き、1391年には棟梁になっている。
1370年ジョヴァンニーノ工房によって挿絵制作が始められた「ヴィスコンティ家祈祷書」が代表作。この工房で使われていた自然主義的な動植物の素描、装飾モティーフを集めた「手本帖」が残されている。それによってこの工房がボヘミア、フランスの写本とも共通するモティーフを集めていたことがわかる。
ジョヴァンニーノ没後、1404年から造営局記録に名前があるのがミケリーノ・ダ・ベゾッツォ(活動期1388〜1450頃)。1403年の写本「ピエトロ・ダ・カステッレットによるジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティへの告別の辞」の挿絵のほか、パヴィーア、ミラノ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァで写本挿絵、素描、板絵、壁画を制作した。15世紀初頭のロンバルディア地方、ヴェネト地方の画家たちの国際ゴシック様式形成に影響を与えた。
1 フィレンツェ シエナ 2 ピサ 3 リミニ ボローニャ
4 パドヴァ イタリアルネサンス年表
1370年ジョヴァンニーノ工房によって挿絵制作が始められた「ヴィスコンティ家祈祷書」が代表作。この工房で使われていた自然主義的な動植物の素描、装飾モティーフを集めた「手本帖」が残されている。それによってこの工房がボヘミア、フランスの写本とも共通するモティーフを集めていたことがわかる。
ジョヴァンニーノ没後、1404年から造営局記録に名前があるのがミケリーノ・ダ・ベゾッツォ(活動期1388〜1450頃)。1403年の写本「ピエトロ・ダ・カステッレットによるジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティへの告別の辞」の挿絵のほか、パヴィーア、ミラノ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァで写本挿絵、素描、板絵、壁画を制作した。15世紀初頭のロンバルディア地方、ヴェネト地方の画家たちの国際ゴシック様式形成に影響を与えた。
1 フィレンツェ シエナ 2 ピサ 3 リミニ ボローニャ
4 パドヴァ イタリアルネサンス年表