ルネサンス以前のイタリア絵画 4
パドヴァ出身の14世紀の画家、グアリエント・ディ・アルポ(活動期1338〜1367)が、ジョット、リミニ派の伝統を発展させ、世紀半ばにはヴェネツィア派のパオロ・ヴェネツィアーノの人物容貌表現を採り入れた自然主義的な絵画を展開させた。
1355〜60年頃に描かれたカッラーラ家礼拝堂の天井を飾っていた板絵群と西側壁の旧約聖書物語の壁画は明るい色調で貴族的、世俗的雰囲気を表している。1365〜67年にはヴェネツィアの評議会広間に、聖母戴冠の大構図画「天国」を描き、後のヴェネツィア派絵画に大きな影響を与えた。
グアリエント没後、パドヴァは「宮廷画家」としてフィレンツェ出身のジュスト・デ・メナブオイ(1320/30〜1391)を迎えた。ジュストはペスト大流行の時期、ミラノに移りそこでジョット様式の影響を受けて独自の画風を形成したとされる。彼の明るい玉虫色の色彩と超自然的、ネオ・ロマネスク風の特徴を示す作品が、パドヴァ洗礼堂に1375〜77年頃に制作された壁画「黙示録および新旧約聖書の物語」。
その死後にはジョッテスキの末裔チェンニーノ・チェンニーニを招いた。「絵画術の書」は1398〜1400年頃パドヴァで書かれたが、この画家の確証のある作品は残されていない。
1355〜60年頃に描かれたカッラーラ家礼拝堂の天井を飾っていた板絵群と西側壁の旧約聖書物語の壁画は明るい色調で貴族的、世俗的雰囲気を表している。1365〜67年にはヴェネツィアの評議会広間に、聖母戴冠の大構図画「天国」を描き、後のヴェネツィア派絵画に大きな影響を与えた。
グアリエント没後、パドヴァは「宮廷画家」としてフィレンツェ出身のジュスト・デ・メナブオイ(1320/30〜1391)を迎えた。ジュストはペスト大流行の時期、ミラノに移りそこでジョット様式の影響を受けて独自の画風を形成したとされる。彼の明るい玉虫色の色彩と超自然的、ネオ・ロマネスク風の特徴を示す作品が、パドヴァ洗礼堂に1375〜77年頃に制作された壁画「黙示録および新旧約聖書の物語」。
その死後にはジョッテスキの末裔チェンニーノ・チェンニーニを招いた。「絵画術の書」は1398〜1400年頃パドヴァで書かれたが、この画家の確証のある作品は残されていない。
カッラーラ家に仕えていたソラーニャ侯爵によって礼拝堂装飾に呼ばれたアルティキエーロと共作者ヤコポ・アヴァンツィはパドヴァでそれぞれの作風を完成させ、15世紀のピサネッロたちに大きな影響を与えたとされる。礼拝堂上部の八つのリュネットを飾る「聖大ヤコブ伝」のうち5場面がヤコポ・アヴァンツィ、3場面と下段全ての壁画がアルティキエーロの作とされた。
アルティキエーロはすでにヴェローナなどロンバルディア地方で活動し、世俗的で貴族趣味的なジョット風の堂々たる構成と個性ある容貌表現を示していた。パドヴァではサン・ジョルジョ祈祷所の壁画「キリスト伝」「聖ゲオルギウス伝」「聖女カタリナおよび聖女ルチア伝」で一段とモニュメンタルな構成、建物と風景を組み合わせた場面設定、日常的な細部の写実表現などに彼の力量を示している。
カッラーラのフランチェスコ1世が晩年のペトラルカを厚遇したことで、1379年までにカッラーラ家宮殿「偉人たちの間」に「名士列伝」などに基づく壁画が描かれた。後の火災で大部分が消失してしまったが、「書斎のペトラルカ」はオリジナルをおぼろげに伝えている。
1 フィレンツェ シエナ 2 ピサ 3 リミニ ボローニャ
5 ミラノ イタリアルネサンス年表
アルティキエーロはすでにヴェローナなどロンバルディア地方で活動し、世俗的で貴族趣味的なジョット風の堂々たる構成と個性ある容貌表現を示していた。パドヴァではサン・ジョルジョ祈祷所の壁画「キリスト伝」「聖ゲオルギウス伝」「聖女カタリナおよび聖女ルチア伝」で一段とモニュメンタルな構成、建物と風景を組み合わせた場面設定、日常的な細部の写実表現などに彼の力量を示している。
カッラーラのフランチェスコ1世が晩年のペトラルカを厚遇したことで、1379年までにカッラーラ家宮殿「偉人たちの間」に「名士列伝」などに基づく壁画が描かれた。後の火災で大部分が消失してしまったが、「書斎のペトラルカ」はオリジナルをおぼろげに伝えている。
1 フィレンツェ シエナ 2 ピサ 3 リミニ ボローニャ
5 ミラノ イタリアルネサンス年表