
ミュンツァーと再洗礼派
1521年、メランヒトンは「神学総覧」で義認論を展開し、「アウクスブルク信仰告白」で宗教改革をルターと同じ方向で前進させた。カールシュタットは画像を攻撃し、幼児洗礼やミサを廃止し、土地の言葉による儀式を主張して、ルターと敵対するようになった。
ツヴィカウの預言者と呼ばれた急進派は、終末の到来を預言し、すべての聖職者を殺すように主張した。ルターはこの主張に反対したが、このなかにルターとともに改革をめざしていたが、後に急進化したトーマス・ミュンツァーがいた。
ルター 95カ条の提題
宗教改革三大文書 破門
ヴォルムス帝国議会
ツヴィカウの預言者と呼ばれた急進派は、終末の到来を預言し、すべての聖職者を殺すように主張した。ルターはこの主張に反対したが、このなかにルターとともに改革をめざしていたが、後に急進化したトーマス・ミュンツァーがいた。
ルター 95カ条の提題
宗教改革三大文書 破門
ヴォルムス帝国議会
ミュンツァーは1521年にヴィッテンベルクを追われ、プラハで急進的なフス主義にふれた。アルシュテットに戻り、ドイツ語で儀式をおこない幼児洗礼に疑問を示す論文を記した。この主張に従って社会変革をめざして活動した急進的改革派は、長じてから自らの意志で洗礼を受けるべきという主張から、再洗礼派と呼ばれるようになった。この過激な主張に対して、ルターは1524年、ザクセンの君侯に「悪魔が‥アルシュテットで巣を作っている」とミュンツァーに注意するように警告した。ミュンツァーはアルシュテットを去ることになり、ルターと反目、「うそつき博士」と罵倒した。
1520年代
世界各国史13 ドイツ史
1520年代
世界各国史13 ドイツ史