
ヴォルムス帝国議会
フリードリヒ賢公は破門されたルターを保護し、皇帝カール5世と交渉して、皇帝の安全通行証のもとにヴォルムスの帝国議会でルターを査問することとさせた。
1521年4月、帝国議会で著作の内容を否定するように求められたルターは、聖書のことばか明白な理性によって確証するのでなければ、私は私が引用した聖書に拘束される。私の良心は神のことばの虜である、と答えている。
「良心に反して進むことは安全でも正しいことでもないから、私はなにも撤回できないしするつもりもない。私にはこうすることしかできない。ここに私は立つ。神よ、私を救い給え。アーメン」。
カール5世は、「ルターとそのあやまった理論」を訴えるのが遅くなったことを悔やみつつ、ルターにただちに帰国するように命じた。
5月、帝国議会は「ヴォルムスの勅令」を発し、ルターとその教義に従うこと、また著作を印刷、頒布することを禁じた。またルターを「悪名高き異端者」として処罰することとし、「ルターを捕らえることに協力した者は、その善行のゆえに十分な報償をえるであろう」とされている。
1521年4月、帝国議会で著作の内容を否定するように求められたルターは、聖書のことばか明白な理性によって確証するのでなければ、私は私が引用した聖書に拘束される。私の良心は神のことばの虜である、と答えている。
「良心に反して進むことは安全でも正しいことでもないから、私はなにも撤回できないしするつもりもない。私にはこうすることしかできない。ここに私は立つ。神よ、私を救い給え。アーメン」。
カール5世は、「ルターとそのあやまった理論」を訴えるのが遅くなったことを悔やみつつ、ルターにただちに帰国するように命じた。
5月、帝国議会は「ヴォルムスの勅令」を発し、ルターとその教義に従うこと、また著作を印刷、頒布することを禁じた。またルターを「悪名高き異端者」として処罰することとし、「ルターを捕らえることに協力した者は、その善行のゆえに十分な報償をえるであろう」とされている。
ルターは行方不明になっていて、捕らえられたという噂もひろがっていた。帝国議会の帰途、フリードリヒ賢公によって拉致され、ヴァルトブルク城で9ヶ月間かくまわれた。その間「聖書」のドイツ語訳にとりかかり、新約をギリシア語原典から2ヶ月半で翻訳、1522年9月にヴィッテンベルクで刊行した。旧約は1523年からヘブライ語原典からドイツ語に訳して出版を始め、1534年に完成させている。
二つの訳業は、近代ドイツ語の確立に大きく貢献したとされ、ドイツ文化史における画期的業績と高く評価されている。
ルターが捕らえられたという、ある噂はデューラーの「ネーデルラント旅日記(岩波文庫)」で読むことができる。
ルター 95カ条の提題
宗教改革三大文書 破門
ルターの影響 再洗礼派
1520年代
世界各国史13 ドイツ史
二つの訳業は、近代ドイツ語の確立に大きく貢献したとされ、ドイツ文化史における画期的業績と高く評価されている。
ルターが捕らえられたという、ある噂はデューラーの「ネーデルラント旅日記(岩波文庫)」で読むことができる。
ルター 95カ条の提題
宗教改革三大文書 破門
ルターの影響 再洗礼派
1520年代
世界各国史13 ドイツ史