
ルター 95カ条の提題
1508年にヴィッテンベルクの大学に若い聖書学の教授として赴任したマルティン・ルター。1517年にヴィッテンベルク城教会のドアに、贖宥状の販売に抗議して「95箇条の提題」を貼り付けた。ルターが司教たちに「提題」を送ったが、返事がなかった(無視された)ため、友人たちに「提題」を見せただけだったともされる。
ルターが「提題」で問題にしたのは贖宥状だけで、表面的には比較的温和な内容だったらしい。
キリスト教徒はおかした罪を、聖地への巡礼などであがなわねばならないが、教会はこれを赦免することができる、として発行された免罪証書が贖宥状。赦免は祈りや献金などで得られたが、しだいに濫用され、サン・ピエトロ大聖堂再建の名目で贖宥状が発行されていた。
実際は、マクデブルク大司教アルブレヒトが、選帝侯マインツ大司教をかねるためにフッガー家から多額の借金をして、それを返済するために、ローマ教皇と売上を折半するという条件で贖宥状を売り出していた。修道士テッツェルは、マインツ大司教の委託を受けて巧みに売り歩いた。それに反発したのがルターだった。
ルターが「提題」で問題にしたのは贖宥状だけで、表面的には比較的温和な内容だったらしい。
キリスト教徒はおかした罪を、聖地への巡礼などであがなわねばならないが、教会はこれを赦免することができる、として発行された免罪証書が贖宥状。赦免は祈りや献金などで得られたが、しだいに濫用され、サン・ピエトロ大聖堂再建の名目で贖宥状が発行されていた。
実際は、マクデブルク大司教アルブレヒトが、選帝侯マインツ大司教をかねるためにフッガー家から多額の借金をして、それを返済するために、ローマ教皇と売上を折半するという条件で贖宥状を売り出していた。修道士テッツェルは、マインツ大司教の委託を受けて巧みに売り歩いた。それに反発したのがルターだった。
「95箇条の提題」
教会の発する「贖宥状」によって人の魂に保証を与えることはできない(第52条)。
教皇ですら、人の罪のなかで赦免できるのは、「教皇または教会法の権威によって科せられる罪」だけだからである(第5条)。
われわれの主であり師であるイエス・キリストが「悔い改めよ(マタイによる福音書)」と述べられたとき、キリストは信仰者の全生涯が悔い改めであることを望まれたのである(第1条)。
カトリックでは、悔い改めは告悔と贖罪という教会上の制度によってはたされるが、ルターは、信仰者が生涯にわたって各人がおこなうべきと主張していた。信仰は個人の内面にかかわるもので、制度としての教会は不要だ、とする論理に通じていた。
宗教改革三大文書 破門
ヴォルムス帝国議会
ルターの影響 再洗礼派
1510年代
世界各国史13 ドイツ史
教会の発する「贖宥状」によって人の魂に保証を与えることはできない(第52条)。
教皇ですら、人の罪のなかで赦免できるのは、「教皇または教会法の権威によって科せられる罪」だけだからである(第5条)。
われわれの主であり師であるイエス・キリストが「悔い改めよ(マタイによる福音書)」と述べられたとき、キリストは信仰者の全生涯が悔い改めであることを望まれたのである(第1条)。
カトリックでは、悔い改めは告悔と贖罪という教会上の制度によってはたされるが、ルターは、信仰者が生涯にわたって各人がおこなうべきと主張していた。信仰は個人の内面にかかわるもので、制度としての教会は不要だ、とする論理に通じていた。
宗教改革三大文書 破門
ヴォルムス帝国議会
ルターの影響 再洗礼派
1510年代
世界各国史13 ドイツ史