ルネサンス以前のイタリア彫刻 3
ジョヴァンニ・ピサーノ Giovanni Pisano
(1245/50〜1314以降)
ニコラ・ピサーノの息子。ニコラの感情表現を深化させ、観者と交感できる人間味のある彫刻を作り上げた。
1265年のシエナ説教壇から活動が見られる。その後ピサに戻り洗礼堂外側の装飾に携わったらしい。 1278年に完成したペルージャの大噴水をニコラと共に制作した後、再びピサで洗礼堂の仕事を続けていた。
1284年父ニコラの死後ピサを発ってシエナに移った。この年海洋都市国家ピサはジェノヴァとのメローリアの海戦に大敗、コルシカ島、サルディニア島の支配権などを失って、東地中海の制海権を巡る競争から脱落してしまった。
シエナでは市民権や免税特権を獲得、造営主任となって1297年にシエナを去るまで活動した。シエナ大聖堂ファサードを飾る彫刻群にジョヴァンニの特徴が表れている。フィレンツェ大聖堂のアルノルフォの作品は彫刻を建築に従属させているのに対し、ジョヴァンニの作品は建築に生気を与えている。その後大聖堂造営を巡って対立や混乱があったらしく、シエナを去ってピサで活動を再開した。1299年には造営主任となってピサ大聖堂説教壇などの制作に携わっている。
1301年 説教壇 ピストイア サンタンドレア聖堂
1305年頃 聖母子 パドヴァ スクロヴェーニ礼拝堂ジョヴァンニ・ピサーノ
ミリアム 1290年代 大理石
イタリア シエナ大聖堂美術館 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2
(1245/50〜1314以降)
ニコラ・ピサーノの息子。ニコラの感情表現を深化させ、観者と交感できる人間味のある彫刻を作り上げた。
1265年のシエナ説教壇から活動が見られる。その後ピサに戻り洗礼堂外側の装飾に携わったらしい。 1278年に完成したペルージャの大噴水をニコラと共に制作した後、再びピサで洗礼堂の仕事を続けていた。
1284年父ニコラの死後ピサを発ってシエナに移った。この年海洋都市国家ピサはジェノヴァとのメローリアの海戦に大敗、コルシカ島、サルディニア島の支配権などを失って、東地中海の制海権を巡る競争から脱落してしまった。
シエナでは市民権や免税特権を獲得、造営主任となって1297年にシエナを去るまで活動した。シエナ大聖堂ファサードを飾る彫刻群にジョヴァンニの特徴が表れている。フィレンツェ大聖堂のアルノルフォの作品は彫刻を建築に従属させているのに対し、ジョヴァンニの作品は建築に生気を与えている。その後大聖堂造営を巡って対立や混乱があったらしく、シエナを去ってピサで活動を再開した。1299年には造営主任となってピサ大聖堂説教壇などの制作に携わっている。
1301年 説教壇 ピストイア サンタンドレア聖堂
1305年頃 聖母子 パドヴァ スクロヴェーニ礼拝堂
ミリアム 1290年代 大理石
イタリア シエナ大聖堂美術館 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2
ジョヴァンニの聖母子像は母と子の豊かな情感によって際立っている。その一方磔刑像は苦悶する強烈で劇的な宗教感情を伝えている。また象牙による小像も制作されている。1298年頃のピサ大聖堂のためのいくつかの小像を伴う主祭壇企画の一部と考えられている。これらの作品にはフランス・ゴシックからの強い影響が見られる。フランス滞在も仮説として出されているが、工芸品やミニアチュールなどを通して知識を得たとされている。
1301年に完成したピストイアのサンタンドレア聖堂説教壇と、1302〜10年に制作されたピサ大聖堂説教壇(1602年に解体され1926年に再構成された。一部は別の美術館の所蔵となっている。)に見られる叙述的で自然主義的な感情性は14世紀のイタリア彫刻の全般的傾向に対して大きな意味を持った。
晩年の主要な作品は、皇帝ハインリヒ7世の妻ルクセンブルクのマルゲリータの墓碑。1311年ハインリヒのイタリア遠征に従って南下中、ジェノヴァでコレラのために死去。皇帝からの委嘱によりピサでカッラーラの大理石を用いて制作され、1313年頃に完成、移送・設置されたらしい。現在は断片しか残されていない。
1314年、ジョヴァンニはシエナに住んでいて、ここで死亡したらしい。シエナからアルノルフォ、ジョヴァンニに続くピサーノ派第3世代の彫刻家が現れた。
ピサ大聖堂説教壇部分 キリスト降誕 「剛毅」と「節制」
イタリア彫刻ジョヴァンニ・ピサーノ
磔刑像 1300年頃 木
イタリア ピストイア サンタンドレア聖堂 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2
1301年に完成したピストイアのサンタンドレア聖堂説教壇と、1302〜10年に制作されたピサ大聖堂説教壇(1602年に解体され1926年に再構成された。一部は別の美術館の所蔵となっている。)に見られる叙述的で自然主義的な感情性は14世紀のイタリア彫刻の全般的傾向に対して大きな意味を持った。
晩年の主要な作品は、皇帝ハインリヒ7世の妻ルクセンブルクのマルゲリータの墓碑。1311年ハインリヒのイタリア遠征に従って南下中、ジェノヴァでコレラのために死去。皇帝からの委嘱によりピサでカッラーラの大理石を用いて制作され、1313年頃に完成、移送・設置されたらしい。現在は断片しか残されていない。
1314年、ジョヴァンニはシエナに住んでいて、ここで死亡したらしい。シエナからアルノルフォ、ジョヴァンニに続くピサーノ派第3世代の彫刻家が現れた。
ピサ大聖堂説教壇部分 キリスト降誕 「剛毅」と「節制」
イタリア彫刻
磔刑像 1300年頃 木
イタリア ピストイア サンタンドレア聖堂 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2