
ヴァザーリ 3
ヴァザーリは教皇庁や宗教的権威のための、対抗宗教改革を代表する宗教画も制作している。フィレンツェの貴族ビンド・アルトヴィーティの家族礼拝堂の「無原罪の御宿り(1541年)」はボルギーニの神学上の知識をもとに描かれて、対抗宗教改革期の聖母マリア論争を視覚化している。一般には理解されなくとも、学者や支配者を満足させるための作品を描いている。
ヴァザーリによると、1546年ローマのファルネーゼ家の宮廷での夕食中、パオロ・ジョヴィオとの会話で、「芸術家列伝」の構想が生まれた。ヴァザーリは若いときから作品や作家について書いていたメモを、体系的にまとめることにした。1547年に草稿を読んだジョヴィオは、これはヴァザーリを不滅にするだろうと記し、書名を「優れた職人たちの生涯(芸術家という言葉はまだなかった)」とし、コジモ1世に献呈すべきと助言している。フィレンツェの文人たちの協力を得て1550年に出版された「芸術家列伝」は、ミケランジェロ、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿、カール5世の大使など重要人物に贈られ、献辞を添えてコジモ1世に献呈されている。最終ページには木版の「名声」と「三芸術(絵画、彫刻、建築)」が入れられ、ヴァザーリの目的が表されている。

ヴァザーリによると、1546年ローマのファルネーゼ家の宮廷での夕食中、パオロ・ジョヴィオとの会話で、「芸術家列伝」の構想が生まれた。ヴァザーリは若いときから作品や作家について書いていたメモを、体系的にまとめることにした。1547年に草稿を読んだジョヴィオは、これはヴァザーリを不滅にするだろうと記し、書名を「優れた職人たちの生涯(芸術家という言葉はまだなかった)」とし、コジモ1世に献呈すべきと助言している。フィレンツェの文人たちの協力を得て1550年に出版された「芸術家列伝」は、ミケランジェロ、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿、カール5世の大使など重要人物に贈られ、献辞を添えてコジモ1世に献呈されている。最終ページには木版の「名声」と「三芸術(絵画、彫刻、建築)」が入れられ、ヴァザーリの目的が表されている。

ローマで「芸術家列伝」の執筆を続けながら、ファルネーゼ家のために、教皇パウルス3世(在位1534〜49)の栄光化を主題とするフレスコ画をパラッツォ・デッラ・カンチェッレリーア百日の間に描いている。ローマの大様式の代表作で、ミケランジェロとラファエロを折衷しようとしている。
1568年、初版の3倍に拡大・修正した第2版を出してコジモに献呈している。その間多くの芸術家が死去し、ボルギーニなどからの忠告もあって初版を修正したとされている。ヴァザーリはすでにコジモの宮廷で地位と名声を確立していて、初版の芸術家礼讃から記述的・教訓的表現に変わっている。
世界美術大全集15 マニエリスム
ヴァザーリ4 5・1・2 人物略歴

ジョルジョ・ヴァザーリ
百日の間の装飾 1546年 フレスコ モノクロ
左「名声」と「三芸術」モノクロ
ヴァザーリ「芸術家列伝」1550年版の最終ページ
1568年、初版の3倍に拡大・修正した第2版を出してコジモに献呈している。その間多くの芸術家が死去し、ボルギーニなどからの忠告もあって初版を修正したとされている。ヴァザーリはすでにコジモの宮廷で地位と名声を確立していて、初版の芸術家礼讃から記述的・教訓的表現に変わっている。
世界美術大全集15 マニエリスム
ヴァザーリ4 5・1・2 人物略歴

百日の間の装飾 1546年 フレスコ モノクロ
左「名声」と「三芸術」モノクロ
ヴァザーリ「芸術家列伝」1550年版の最終ページ