
ポントルモ 3
ポントルモとアンドレアの工房は1519〜21年に、教皇レオ10世とジュリオ枢機卿(のちの教皇クレメンス7世)のためにフレスコ画を描いている。ロレンツォ時代のメディチ家の歴史を古代神話「ウェルトゥムヌス(農耕の神)とポモナ(豊𩜙の女神)」で表している。月桂樹はメディチ家の繁栄を表しているともされるが、メディチ家の系統樹で、窓の上に座る左右二人の童子は、メディチ家正統の跡継ぎ、イッポーリトとアレッサンドロ(当時8〜10歳)だともされる。
世界美術大全集15 マニエリスム
ポントルモ 4 1 2 人物略歴
ポントルモ ウェルトゥムヌスとポモナ 1519〜21年 フレスコ
イタリア ポッジョ・ア・カイアーノ ヴィッラ・メディチ
世界美術大全集15 マニエリスム
ポントルモ 4 1 2 人物略歴
イタリア ポッジョ・ア・カイアーノ ヴィッラ・メディチ
1519年に描かれた「祖国の父コジモの肖像」は黒地に赤と緑で描かれた鮮明な作品だが、コジモが見つめる月桂樹の枝が2本切断されている。豪華王の孫で、ピエロの息子ウルビーノ公ロレンツォが1519年に死に、レオ10世の弟ヌムール公ジュリアーノが1516年に死んだことを表している。正統の嫡男がいなくなったが、レオはヌムール公の庶子イッポーリトを後継者にすることにした。ジュリオにも同年代の庶子アレッサンドロがいた。
1519年、豪華王の長女の娘と老コジモの弟ロレンツォ系の黒隊長ジョヴァンニの間に息子が生まれた。レオはコジモ(1世)と名付け、このコジモが1537年フィレンツェ公、次いでトスカーナ大公となってメディチ家を継承した。
(ヨーロッパ史 用語集・地域別 イタリア史 メディチ家系図)
1519年、豪華王の長女の娘と老コジモの弟ロレンツォ系の黒隊長ジョヴァンニの間に息子が生まれた。レオはコジモ(1世)と名付け、このコジモが1537年フィレンツェ公、次いでトスカーナ大公となってメディチ家を継承した。
(ヨーロッパ史 用語集・地域別 イタリア史 メディチ家系図)
