
ポントルモ 1
ヤコポ・ダ・ポントルモ Pontormo
1494〜1556/57
本名はヤコポ・カルッチ。エンポリ(フィレンツェ県)近くのポントルメで、ギルランダイオの弟子だった画家の子として生まれた。この年シャルル8世のフランス軍が、ポントルメを通ってフィレンツェに進軍している。メディチ家のピエロは逃亡し、市民はドメニコ会修道士サヴォナローラのもとに共和制を敷いた。4歳の時にサヴォナローラは処刑され、5歳の時に父を、10歳で母を失い、祖母によってフィレンツェに連れてこられた。しばらく孤児院にいて、ヴァザーリによると、レオナルド、ピエロ・ディ・コジモ、アルベルティネッリの工房で働いた。また、フィレンツェに来たラファエロが、ポントルモの絵を見て驚き、将来の成功を予言したとも伝えられる。
フィレンツェでレオナルドやミケランジェロの作品を見て育ち、1512年にアンドレア・デル・サルトの助手になって、師匠とともにローマへ行きシスティーナ礼拝堂の天井画も見ている。
1512年にメディチ家が復帰し、13年にメディチ家の教皇レオ10世(在位1513〜21)が選出され、15年に盛大に故郷凱旋をおこなった。このときポントルモはサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂教皇礼拝堂に「聖女ウェロニカ」を描いている。その姿態はデューラーの木版画「聖女ウェロニカ」からとられたとされるが、若桑氏はミケランジェロの「ドーニ家の聖家族」の聖母からと考えている。
1514〜16年にポントルモはアンドレア、ロッソとともにサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂前庭回廊に「マリア伝」を制作した。そこに伝統的な構図に、アンドレアやラファエロからの影響が指摘される「聖母のエリザベツ訪問」を描いている。
世界美術大全集15 マニエリスム
ポントルモ 2 3 4 人物略歴
ポントルモ 聖女ウェロニカ(部分) 1515年 フレスコ
フィレンツェ サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
1494〜1556/57
本名はヤコポ・カルッチ。エンポリ(フィレンツェ県)近くのポントルメで、ギルランダイオの弟子だった画家の子として生まれた。この年シャルル8世のフランス軍が、ポントルメを通ってフィレンツェに進軍している。メディチ家のピエロは逃亡し、市民はドメニコ会修道士サヴォナローラのもとに共和制を敷いた。4歳の時にサヴォナローラは処刑され、5歳の時に父を、10歳で母を失い、祖母によってフィレンツェに連れてこられた。しばらく孤児院にいて、ヴァザーリによると、レオナルド、ピエロ・ディ・コジモ、アルベルティネッリの工房で働いた。また、フィレンツェに来たラファエロが、ポントルモの絵を見て驚き、将来の成功を予言したとも伝えられる。
フィレンツェでレオナルドやミケランジェロの作品を見て育ち、1512年にアンドレア・デル・サルトの助手になって、師匠とともにローマへ行きシスティーナ礼拝堂の天井画も見ている。
1512年にメディチ家が復帰し、13年にメディチ家の教皇レオ10世(在位1513〜21)が選出され、15年に盛大に故郷凱旋をおこなった。このときポントルモはサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂教皇礼拝堂に「聖女ウェロニカ」を描いている。その姿態はデューラーの木版画「聖女ウェロニカ」からとられたとされるが、若桑氏はミケランジェロの「ドーニ家の聖家族」の聖母からと考えている。
1514〜16年にポントルモはアンドレア、ロッソとともにサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂前庭回廊に「マリア伝」を制作した。そこに伝統的な構図に、アンドレアやラファエロからの影響が指摘される「聖母のエリザベツ訪問」を描いている。
世界美術大全集15 マニエリスム
ポントルモ 2 3 4 人物略歴
フィレンツェ サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
1519年にエンポリのサン・ミケーレ聖堂に「福音書記者聖ヨハネ」と「大天使ミカエル」を描いた。この作品にポントルモのマニエラが示されている。その原型として、大天使ミカエルにミケランジェロの「反抗する奴隷」、デューラーの版画「博士の夢」、聖ヨハネにドナテッロのサン・ロレンツォ聖堂のブロンズ門扉浮彫りなどが上げられている。若桑氏はミカエルの原型にボッティチェリのサン・バルナバ祭壇画右端の大天使ミカエルをみている。
ポントルモはフィレンツで多くの作品を見ることができたので、彼の頭には先例が詰まっていた。彼は実際の人体ではなく、作品に描かれた人体から引用している。長く引き伸ばされた人体、長く細い人体のねじれ、聖ヨハネの苦悶の表情や、悪魔を屈服させたミカエルの繊細な表情にみられる感受性。ポントルモの特徴だが、彼が選び出した様式だった。
ポントルモはデューラーからも引用している。ヴァザーリは「ゴート人」からの引用したことに気分を害し、ポントルモを快く思わなかった。

ポントルモはフィレンツで多くの作品を見ることができたので、彼の頭には先例が詰まっていた。彼は実際の人体ではなく、作品に描かれた人体から引用している。長く引き伸ばされた人体、長く細い人体のねじれ、聖ヨハネの苦悶の表情や、悪魔を屈服させたミカエルの繊細な表情にみられる感受性。ポントルモの特徴だが、彼が選び出した様式だった。
ポントルモはデューラーからも引用している。ヴァザーリは「ゴート人」からの引用したことに気分を害し、ポントルモを快く思わなかった。
