
ヴェストファーレン条約
国内問題は宗教問題と帝国国制
宗教問題ではアウクスブルクの平和令の有効性が確認された。「聖職者にかんする留保」条項は破棄され、1624年を標準年と定め、その時点での宗派の分布が基準とされた。カルヴァン派も公認され、宗教問題では、帝国議会内でプロテスタント会派とカトリック会派が別々に協議し、多数決ではなく、両者の合意によって決定することになった。信仰の自由は領邦君主のみに許されることは変わらなかった。個人の宗派選択の自由が認められるのは18世紀後半から。
ヴェストファーレン条約 国際問題 1640年代
世界各国史13 ドイツ史
宗教問題ではアウクスブルクの平和令の有効性が確認された。「聖職者にかんする留保」条項は破棄され、1624年を標準年と定め、その時点での宗派の分布が基準とされた。カルヴァン派も公認され、宗教問題では、帝国議会内でプロテスタント会派とカトリック会派が別々に協議し、多数決ではなく、両者の合意によって決定することになった。信仰の自由は領邦君主のみに許されることは変わらなかった。個人の宗派選択の自由が認められるのは18世紀後半から。
ヴェストファーレン条約 国際問題 1640年代
世界各国史13 ドイツ史
戦争中のさまざまな行為とそれに対する判決には恩赦が適用され、プファルツも以前の領土と選帝侯位を回復した。バイエルンが得た選帝侯位はその後も認められた。
皇帝の権限は大きく後退し、帝国等族の権利が強調された。宣戦布告や法の発布など重要な決定には帝国等族の同意が必要とされ、帝国等族の従来の権利は改めて承認された。また外国との交戦権や条約締結権といった国際法上の主権も(皇帝や帝国への忠誠に違反しない限り)認められた。
フランスにとっての最重要事項は、ハプスブルク家の権力の基盤を弱めることだった。帝国等族の自立性を強化することでドイツの国民国家としての統一と権力国家への発展を遅らせることになった。
皇帝の権限は大きく後退し、帝国等族の権利が強調された。宣戦布告や法の発布など重要な決定には帝国等族の同意が必要とされ、帝国等族の従来の権利は改めて承認された。また外国との交戦権や条約締結権といった国際法上の主権も(皇帝や帝国への忠誠に違反しない限り)認められた。
フランスにとっての最重要事項は、ハプスブルク家の権力の基盤を弱めることだった。帝国等族の自立性を強化することでドイツの国民国家としての統一と権力国家への発展を遅らせることになった。