
ヴェストファーレン条約
30年戦争の和平交渉はヴェストファーレン地方のミュンスターとオスナブリュックで進められた。ヨーロッパ諸国とドイツ諸邦の君主194人、全権委任者176人でヨーロッパの諸問題とドイツの国内問題が協議された。3年の交渉の結果、1648年10月ヴェストファーレン条約が結ばれた。
国際問題で重要なのは領土問題。
エルザス(アルザス)の一部ズントガウなどがフランスに割譲され、フランスの勢力は部分的にライン川まで進出した。
ドイツ国内問題 1640年代
世界各国史13 ドイツ史
地図 詳説 世界史図録 山川出版社
国際問題で重要なのは領土問題。
エルザス(アルザス)の一部ズントガウなどがフランスに割譲され、フランスの勢力は部分的にライン川まで進出した。
ドイツ国内問題 1640年代
世界各国史13 ドイツ史
地図 詳説 世界史図録 山川出版社
スウェーデンは西ポメルン、フェルデン、ブレーメンをえて、オーデル川、エルベ川、ヴェーザー川の河口をおさえ、帝国議会の議席を得た。フランスとスウェーデンが最大の勝利者で、条約の保証国になった。
ブランデンブルクは西ポメルンを失ったが、ポメルンの東の部分やミンデンなど若干の司教領をえて、北ドイツの雄となった。
スイスとネーデルラント共和国の独立も正式に認められた。
スペインは和平対象からはずされ、フランスとスペインの対立は1659年のピレネー条約まで延ばされた。
ヨーロッパの平和を国際会議で保証したことや勢力均衡の視点が生まれたことは、この条約のプラス面とされる。
ブランデンブルクは西ポメルンを失ったが、ポメルンの東の部分やミンデンなど若干の司教領をえて、北ドイツの雄となった。
スイスとネーデルラント共和国の独立も正式に認められた。
スペインは和平対象からはずされ、フランスとスペインの対立は1659年のピレネー条約まで延ばされた。
ヨーロッパの平和を国際会議で保証したことや勢力均衡の視点が生まれたことは、この条約のプラス面とされる。
