
オランダ独立戦争2
1581年にオランイェ公ウィレムが著した冊子が、スペインを攻撃する「黒い伝説」を生み出した。フェリーペは息子ドン・カルロスの暗殺者で、妻の毒殺者であり、スペイン人は狂信的で、新大陸住民の虐殺者である、といった非難が長い間スペインにあびせられることになった。
フェリーペはオランダの反乱を支援しているイギリスを攻撃することにした。1587年、前スコットランド女王でカトリック教徒のメアリが処刑されたのを機に、88年「無敵艦隊」を派遣した。しかしドーヴァー海峡の海戦で敗北してしまった。スペイン艦隊は再建されたが、帝国の威信は失墜した。
1560年代 オランダ独立戦争1
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
フェリーペはオランダの反乱を支援しているイギリスを攻撃することにした。1587年、前スコットランド女王でカトリック教徒のメアリが処刑されたのを機に、88年「無敵艦隊」を派遣した。しかしドーヴァー海峡の海戦で敗北してしまった。スペイン艦隊は再建されたが、帝国の威信は失墜した。
1560年代 オランダ独立戦争1
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
スペイン宮廷でもフランドルの反乱鎮圧と統治の方法で確執が生まれていた。1578年、事態を打開するためにフェリーペの秘書官アントニオ・ペレスは低地地方総督の秘書を暗殺させた。フェリーペは、この暗殺を黙認したことが発覚するのを防ぐために、79年ペレスを投獄した。しかし90年、ペレスはアラゴンへ逃亡し、アラゴンの特権によってカスティーリャからの追及を逃れようとした。フェリーペは諸国特権に拘束されない異端審問制によってペレスを捕らえようとしたが、91年、特権侵害に反発した暴動がサラゴサで起きた。カスティーリャ軍は越境して反乱を鎮圧したが、ペレスはこの間に国外に逃れた。アラゴンの特権は、王権に有利なかたちに改編された。ペレスはフランスとイギリスの宮廷で、秘書官時代の情報を意図的に流して「黒い伝説」形成に関わった。