
エドワード4世 即位
1460年10月、ヘンリ6世を捕らえていたヨーク公リチャードは議会で貴族院宛に声明を発表した。エドワード3世の5男であるヨーク家の家系は、3男のライオネルの家系の娘との結婚によって、4男のランカスタ王家の家系より勝る王位継承権を持つと主張し、王位に就く意志を明らかにした。貴族院は同意しなかったが、ヘンリ6世の死後の継承権はヨーク公がヘンリ6世の王子エドワードに勝ることを認めた。

ヨーク公は王妃軍を追ってスコットランドへ軍を進めたが、1460年12月ウェイクフィールドの戦いで敗れ、ヨーク公、ソールズベリ伯が死亡した。この戦いの後始末が異常に厳しかったため、人々は王妃を恐れるようになった。
父ヨーク公を殺された辺境伯エドワード(19歳)は1461年2月、ランカスタ派のペンブルック伯の軍をネヴィルズ・クロスで破った。王妃軍はセント・オールバンズでウォリック伯軍を破って王を奪還した。そのままロンドンに入ろうとしたが、兵士たちによるロンドン近郊での略奪があったため、市民から拒否された。その後辺境伯エドワードの軍は歓迎されてロンドンに入った。
ロンドン近郊にいた諸侯たちがロンドンに集まり、3月エドワードの王位推戴を決め、評議会でも承認された。ランカスタ派の軍がタウトンの戦いで敗れ、王妃は王と王子を連れてスコットランドへ逃れた。 6月末エドワードはウェストミンスタで戴冠してエドワード4世(在位1461〜83)となった。
1460年代 コモンズに保護を約束
世界各国史11 イギリス史
父ヨーク公を殺された辺境伯エドワード(19歳)は1461年2月、ランカスタ派のペンブルック伯の軍をネヴィルズ・クロスで破った。王妃軍はセント・オールバンズでウォリック伯軍を破って王を奪還した。そのままロンドンに入ろうとしたが、兵士たちによるロンドン近郊での略奪があったため、市民から拒否された。その後辺境伯エドワードの軍は歓迎されてロンドンに入った。
ロンドン近郊にいた諸侯たちがロンドンに集まり、3月エドワードの王位推戴を決め、評議会でも承認された。ランカスタ派の軍がタウトンの戦いで敗れ、王妃は王と王子を連れてスコットランドへ逃れた。 6月末エドワードはウェストミンスタで戴冠してエドワード4世(在位1461〜83)となった。
1460年代 コモンズに保護を約束
世界各国史11 イギリス史