コルテス政略誌9
コルテスは彼をケツァルコアトルと考えているモンテスーマの客としてテノチティトランに宿舎を提供されているだけだった。そこで彼はモンテスーマを捕らえ、自らの傀儡とすることを考えた。
宿舎の水の面の宮殿は普段宝物庫として使われていた。祭壇を作る場所を探していたスペイン人は偶然秘密の扉を見つけた。その中には大量の宝石や金の板があった。ベルナールは「わたしの生涯のうちで、こんなに多くの富を見たことがない」、「この広い世界にこうした宝庫が他には決してあり得ないと確信した」と書いている。コルテスは扉をもとの通りに封印した。スペイン人たちはこれらの宝物を安全に持ち出すことを考えた。
同じ頃トトナコ人に対し、メキシコ人の総督クアウポポカが税金を納めるように命じた。トトナコ人はそれを拒み、ベラクルスの守備隊ホァン・デ・エスカランテに協力を求めた。40人のスペイン人とトトナコ人はクアウポポカを襲ったが、4000人のメキシコ軍に破れトトナコ人は降伏しベラクルスは包囲された。この戦いでエスカランテは殺されたらしい。この知らせはスペイン人を極度に緊張させた。
11月14日朝、コルテスは5人の主な部下とともにモンテスーマを訪ねた。ベラクルスのスペイン人が攻撃されたことを責め、責任がはっきりするまでモンテスーマにスペイン人の宿舎に移るように求めた。この要求に驚いたモンテスーマは彼の子供たちを人質にすることを申し出たが断られ、モンテスーマ自身の希望で自分の宮殿から出ることを廷臣と護衛の士官たちに告げた。モンテスーマにはそれまでの生活を続けることが認められていた。
大航海時代年表 コルテス8 コルテス10
宿舎の水の面の宮殿は普段宝物庫として使われていた。祭壇を作る場所を探していたスペイン人は偶然秘密の扉を見つけた。その中には大量の宝石や金の板があった。ベルナールは「わたしの生涯のうちで、こんなに多くの富を見たことがない」、「この広い世界にこうした宝庫が他には決してあり得ないと確信した」と書いている。コルテスは扉をもとの通りに封印した。スペイン人たちはこれらの宝物を安全に持ち出すことを考えた。
同じ頃トトナコ人に対し、メキシコ人の総督クアウポポカが税金を納めるように命じた。トトナコ人はそれを拒み、ベラクルスの守備隊ホァン・デ・エスカランテに協力を求めた。40人のスペイン人とトトナコ人はクアウポポカを襲ったが、4000人のメキシコ軍に破れトトナコ人は降伏しベラクルスは包囲された。この戦いでエスカランテは殺されたらしい。この知らせはスペイン人を極度に緊張させた。
11月14日朝、コルテスは5人の主な部下とともにモンテスーマを訪ねた。ベラクルスのスペイン人が攻撃されたことを責め、責任がはっきりするまでモンテスーマにスペイン人の宿舎に移るように求めた。この要求に驚いたモンテスーマは彼の子供たちを人質にすることを申し出たが断られ、モンテスーマ自身の希望で自分の宮殿から出ることを廷臣と護衛の士官たちに告げた。モンテスーマにはそれまでの生活を続けることが認められていた。
大航海時代年表 コルテス8 コルテス10
1週間後クアウポポカが連行されてきた。コルテスはクアウポポカをモンテスーマの居室へ行かせた。クアウポポカはスペイン人を殺す命令は受けていない、と答えたが、コルテスは彼らを火刑にすると決定した。処刑はモンテスーマの宮殿前の広場で行われた。木製の武器が薪とされ、処刑の間モンテスーマは鎖に繋がれた。
水の面侯の宮殿ではモンテスーマは従来通りの生活を続けていた。食事には毎回30品目が用意され、後宮では女たちが着飾っていた。謁見の作法にも変化はなかつた。
モンテスーマが捕らえられると、テスココの支配者カカマツィンが自らを「第一の話し手」(メキシコ王)とするために、4つの町の支配者と共謀して兵士を集め始めた。モンテスーマの密偵によりこの情報が伝えられると、コルテスは彼らを捕らえ、ベラクルスから運ばれた船舶用の太い鎖に彼らの首をつないだ。 これらのことでコルテスの支配が確立された。
この後コルテスはモンテスーマにカルロス1世の臣下となることを求め、苦痛の中でモンテスーマはそれを受け入れた。メキシコは独立国ではなくなった。またコルテスたちが宝物庫の中を見たことを知っていたモンテスーマはそれらの財宝をカルロス1世に贈ることを申し出た。
その一方でコルテスはモンテスーマにキリスト教に改宗するよう強く求め続けていた。もしモンテスーマがキリスト教徒となりそれまでの宗教を捨てると、コルテスはケツァルコアトルではなくなる、という矛盾を抱えてもいた。
あるときコルテスは小帆船を2隻作った。メキシコのカヌーには帆がなく、興味をもったモンテスーマの求めに応じ、王室の狩猟場までこの船で行かせている。ちょうど強い風が吹き、船の速さはモンテスーマを満足させた。
水の面侯の宮殿ではモンテスーマは従来通りの生活を続けていた。食事には毎回30品目が用意され、後宮では女たちが着飾っていた。謁見の作法にも変化はなかつた。
モンテスーマが捕らえられると、テスココの支配者カカマツィンが自らを「第一の話し手」(メキシコ王)とするために、4つの町の支配者と共謀して兵士を集め始めた。モンテスーマの密偵によりこの情報が伝えられると、コルテスは彼らを捕らえ、ベラクルスから運ばれた船舶用の太い鎖に彼らの首をつないだ。 これらのことでコルテスの支配が確立された。
この後コルテスはモンテスーマにカルロス1世の臣下となることを求め、苦痛の中でモンテスーマはそれを受け入れた。メキシコは独立国ではなくなった。またコルテスたちが宝物庫の中を見たことを知っていたモンテスーマはそれらの財宝をカルロス1世に贈ることを申し出た。
その一方でコルテスはモンテスーマにキリスト教に改宗するよう強く求め続けていた。もしモンテスーマがキリスト教徒となりそれまでの宗教を捨てると、コルテスはケツァルコアトルではなくなる、という矛盾を抱えてもいた。
あるときコルテスは小帆船を2隻作った。メキシコのカヌーには帆がなく、興味をもったモンテスーマの求めに応じ、王室の狩猟場までこの船で行かせている。ちょうど強い風が吹き、船の速さはモンテスーマを満足させた。