大航海時代とルネサンス2018
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コルテス政略誌7

火山ボボカテペトルと休火山イスタシワトルの間の峠を越えて、11月6日湖畔の南端の町アヨツインコに着いた。住民はスペイン人を見るために集まり、すべての休息所には豊富な食料が準備されていた。11月7日チョルーラを出発してから3度目の使節がコルテスを訪れた。モンテスーマの甥でテスココの支配者カカマツィン(トウモろこしの肉穂 25歳)はそれまでの使者と比べて遥かに地位が高かった。一行はコルテスが「これまで見たうちで、もっとも美しい町」と国王に報告したクイトラワク(泥水の場所)を通り、イスタパラパに着いた。そこで「夢みたこともない光景」を見たベルナールは後年「しかし残念なことに、今日ではすべてが破壊され、失われ、もはや何物も残っていない」と書いている。
11月8日クイトラワクとイスタパラパの領主クイトラワクの案内でテノチティトラン(石とイチジクサボテンの土台)へ向かった。堤道の両側と湖に浮かぶ舟から大勢の人々に見つめられての前進だった。モンテスーマは宮殿を出て、堤道の入り口近くに来ていた。輿から降りたモンテスーマは高価なマントをはおり、黄金製のサンダルを履いていた。貴族たちが大地を掃き清め、モンテスーマの通路には絨毯代わりの布がはられていた。コルテスは馬からおり、モンテスーマを抱擁しようとして王子たちから押し止められた。モンテスーマはケツァルコアトルを歓迎する挨拶をし、スペイン人の宿舎とされるモンテスーマの亡父アクサヤカツィン(水の面)の宮殿へと案内した。

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