コルテス政略誌6
コルテス一行は6000人のトラシュカーラ兵を町のそばに待機させ、チョルーラへ入った。そこはさらに多くの人口をかかえ、ケツァルコワトルの神殿などが建ち並ぶ町だった。モンテスーマの守備兵は南に20kmほど離れた場所に駐留していた。
敵対しているトラシュカーラ兵が近くにいることに不安を感じたチョルーラの指導者たちは、モンテスーマの守備兵に町の近くに移るよう依頼し、防御のためにバリケードを作り、投石用の石を屋根に集め、女子供を避難させた。
この動きはスペイン人たちに恐怖を与えた。さまざまな憶測がなされ、重要な相談相手となっていたドーニャ・マリーナから、彼女のために避難場所が用意されていることを知らされたコルテスは、攻撃される前に攻撃することを決めた。
大航海時代年表 コルテス5 コルテス7
エスパニャ人によるチョルーラの虐殺
右 古代アステカ王国 中公新書より
敵対しているトラシュカーラ兵が近くにいることに不安を感じたチョルーラの指導者たちは、モンテスーマの守備兵に町の近くに移るよう依頼し、防御のためにバリケードを作り、投石用の石を屋根に集め、女子供を避難させた。
この動きはスペイン人たちに恐怖を与えた。さまざまな憶測がなされ、重要な相談相手となっていたドーニャ・マリーナから、彼女のために避難場所が用意されていることを知らされたコルテスは、攻撃される前に攻撃することを決めた。
大航海時代年表 コルテス5 コルテス7
エスパニャ人によるチョルーラの虐殺
右 古代アステカ王国 中公新書より
コルテスの出発について話し合うという口実で、町の有力者たちを集めた。全員が集まるとコルテスは直ちに彼らを捕らえ、何も知らない住民たちを殺した。さらにトラシュカーラ兵を町にいれ、5時間で3000人(6000人)を虐殺した。
その後、モンテスーマは使者を派遣し、黄金、宝石、高価なマントなどを贈り物として持って来た。そしてチョルーラの人々を責め、コルテスをテノチティトランへ招待した。モンテスーマの支配下にいてコルテスが来てから税を納めることを拒否していたトトナコ人はテノチティトランへ行くのを断り、センポアラに戻った。
11月1日コルテス一行はテノチティトランへ向けて出発した。
その後、モンテスーマは使者を派遣し、黄金、宝石、高価なマントなどを贈り物として持って来た。そしてチョルーラの人々を責め、コルテスをテノチティトランへ招待した。モンテスーマの支配下にいてコルテスが来てから税を納めることを拒否していたトトナコ人はテノチティトランへ行くのを断り、センポアラに戻った。
11月1日コルテス一行はテノチティトランへ向けて出発した。