コルテス政略誌2
カトチェで奪った黄金の装飾品を見たベラスケスは第2回目の遠征隊を送ることにした。彼の親族のグリハルバを指揮官とする240人が1518年4月出港した。ベラスケスはスペイン宮廷にいる友人に手紙を送り、新しい豊かな土地の発見を伝え、その土地の総督に任命されるよう働きかけを依頼した。
グリハルバはコスメル島に着いた。チャンポトンでマヤ人の兵士と戦い、破ったが町に人影はなかった。タバスコで2人のマヤ人通訳のおかげで、ガラス玉と黄金を交換できた。後でベラクルスと名付けられる土地の近くで、長い竿に白旗を掲げている人たちを見かけた。彼らはモンテスーマから派遣された人々だった。グリハルバはガラス玉と交換に貨幣16000個分の黄金の装飾品を手に入れた。さらに前進したグリハルバはサン・ホァン・デ・ウルア(ベラクルスの沖合)という島の神殿で、生け贄にされたばかりの二人の男の子の死体を見ている。
7月グリハルバは副官のペドロ・デ・アルバラードを早船でキューバに向かわせ、11月キューバに戻った。
グリハルバはコスメル島に着いた。チャンポトンでマヤ人の兵士と戦い、破ったが町に人影はなかった。タバスコで2人のマヤ人通訳のおかげで、ガラス玉と黄金を交換できた。後でベラクルスと名付けられる土地の近くで、長い竿に白旗を掲げている人たちを見かけた。彼らはモンテスーマから派遣された人々だった。グリハルバはガラス玉と交換に貨幣16000個分の黄金の装飾品を手に入れた。さらに前進したグリハルバはサン・ホァン・デ・ウルア(ベラクルスの沖合)という島の神殿で、生け贄にされたばかりの二人の男の子の死体を見ている。
7月グリハルバは副官のペドロ・デ・アルバラードを早船でキューバに向かわせ、11月キューバに戻った。
キューバではメキシコ発見で沸いていた。ベラスケスは戻ったアルバラードを抱きかかえ、1週間にわたり喜びの宴とスポーツの祭典を続けさせた。ベラスケスは第2の使者を宮廷に派遣し、新しい土地のイスパニョーラから独立した総督に任命してもらえるように頼んだ。
3回目の遠征隊はさらに大規模なものになる。指揮官選びは慎重に行われたが、コルテスが利益の分配を約束したことで任命された。コルテスが準備に入るとその規模の大きさにベラスケスは不安になったが、解任される前にコルテスは出発した。出発に際しては2つの記述がある。ベルナールとラス・カサス、ラス・カサスは現場を見ていない。
トリニダッドで大幅に軍を拡充したコルテスを、ベラスケスは町の司令官に逮捕しサンチアゴに送り返すよう命じた。しかし手遅れだった。期待に溢れた人々からコルテスを取り戻すことはできなかった。
大航海時代年表 コルテス1 コルテス3
3回目の遠征隊はさらに大規模なものになる。指揮官選びは慎重に行われたが、コルテスが利益の分配を約束したことで任命された。コルテスが準備に入るとその規模の大きさにベラスケスは不安になったが、解任される前にコルテスは出発した。出発に際しては2つの記述がある。ベルナールとラス・カサス、ラス・カサスは現場を見ていない。
トリニダッドで大幅に軍を拡充したコルテスを、ベラスケスは町の司令官に逮捕しサンチアゴに送り返すよう命じた。しかし手遅れだった。期待に溢れた人々からコルテスを取り戻すことはできなかった。
大航海時代年表 コルテス1 コルテス3