コルテス政略誌15
神々の神殿などを建築材料としてスペイン風の都市が造られた。コルテスはコユアカンに住み、「急降下する鷹」侯もコルテスのもとに滞在していた。モンテスーマの財宝のほとんどは失われてしまった。「急降下する鷹」侯に拷問を加えいくらかの貴重品が見つかり、侯の個人財産も没収することで兵士への黄金の分配が行われた。
コルテスは先住民の貴族の権利を認め、その協力によって福祉政策を行い、この土地が荒廃することを避けようとしていた。
1522年10月、コルテスはカルロス1世からノバ・イスパニアの総督兼総司令官に任命された。しかし国王の利益を保障する4人の司政官(財務官、会計係、貿易代理人、監督官)も派遣され、コルテスは独立した支配者にはなれなかった。
コルテスは先住民の貴族の権利を認め、その協力によって福祉政策を行い、この土地が荒廃することを避けようとしていた。
1522年10月、コルテスはカルロス1世からノバ・イスパニアの総督兼総司令官に任命された。しかし国王の利益を保障する4人の司政官(財務官、会計係、貿易代理人、監督官)も派遣され、コルテスは独立した支配者にはなれなかった。
この年キューバに残していたコルテスの妻がメキシコにやって来て3ヶ月後に死亡した。後にコルテスは彼の敵から妻を殺したと訴えられたが、調査の結果それは無実だとされている。
1524年キリスト教布教のためにサアグンを含む托鉢修道の僧侶団が到着した。彼らは以前の文化を完全に否定し、破壊した。キリスト教は土地の古い神々を残しながら受け入れられていった。
コルテスはユカタン半島東部を調べるためにクリストバル・デ・オリド大尉と艦隊を派遣していた。しかしオリドは反逆を企て、独立を宣言した。
1524年10月、コルテスはメキシコを出発しホンジュラスへ向かった。王侯のような遠征隊だった。コルテスのメキシコ不在期間は1年9ヶ月に及び、欠乏に耐え、危険を克服する厳しい行軍となった。
出発に先立ちコルテスは、4人の司政官のうち2人に国土の管理を委任していた。しかしそのまずい行政が伝えられたため、他の2人に代役を命じていた。
この遠征中にドーニァ・マリーナがサラミヨ大尉と結婚した。その後もドーニァ・マリーナはコルテスの通訳を続け、老後も豊かな生活を送った。一方同行していた「急降下する鷹」侯は反乱を企てているとして絞首刑になった。
メキシコは混乱していた。メキシコの貴族は拷問にかけられ、4人の司政官はコルテスは死んだと宣言し、その財産を奪った。また裏切り、殺人などの罪でコルテスを告訴し、その訴えはスペインまで届けられた。
メキシコに戻ったコルテスは4人を鎮圧したが、悪い報告がスペインに伝えられていたため、スペインに戻り国王に釈明する必要があった。
大航海時代年表 コルテス14 コルテス16
左 捕らえられた「急降下する鷹」侯「リエンソ・デ・トラスカラ」
大航海時代叢書第2期12
1524年キリスト教布教のためにサアグンを含む托鉢修道の僧侶団が到着した。彼らは以前の文化を完全に否定し、破壊した。キリスト教は土地の古い神々を残しながら受け入れられていった。
コルテスはユカタン半島東部を調べるためにクリストバル・デ・オリド大尉と艦隊を派遣していた。しかしオリドは反逆を企て、独立を宣言した。
1524年10月、コルテスはメキシコを出発しホンジュラスへ向かった。王侯のような遠征隊だった。コルテスのメキシコ不在期間は1年9ヶ月に及び、欠乏に耐え、危険を克服する厳しい行軍となった。
出発に先立ちコルテスは、4人の司政官のうち2人に国土の管理を委任していた。しかしそのまずい行政が伝えられたため、他の2人に代役を命じていた。
この遠征中にドーニァ・マリーナがサラミヨ大尉と結婚した。その後もドーニァ・マリーナはコルテスの通訳を続け、老後も豊かな生活を送った。一方同行していた「急降下する鷹」侯は反乱を企てているとして絞首刑になった。
メキシコは混乱していた。メキシコの貴族は拷問にかけられ、4人の司政官はコルテスは死んだと宣言し、その財産を奪った。また裏切り、殺人などの罪でコルテスを告訴し、その訴えはスペインまで届けられた。
メキシコに戻ったコルテスは4人を鎮圧したが、悪い報告がスペインに伝えられていたため、スペインに戻り国王に釈明する必要があった。
大航海時代年表 コルテス14 コルテス16
大航海時代叢書第2期12