大航海時代とルネサンス2018
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コルテス政略誌14

テスココの軍使がコルテスを訪ね、平和的に町に受け入れると伝えてきた。スペイン兵が町に入ると女、子供の姿はなかった。そしてピラミッドの上からは大勢の人々が町を去っていく姿が見えた。いずれにしても戦うことなくコルテスはテスココの町を手に入れることができた。そして新しい領主を任命し、その後、湖周辺のメキシコの守備兵を破っていった。多くの町はメキシコの守備兵がいなくなるとコルテス側に寝返った。
コルテスが反撃の準備を進めている間、ナルバエスの部下でベラスケスの友人だったビラファーニァは仲間とともにコルテスを殺害する計画を立てていた。しかし事前に発覚し、裁判で死刑判決を受けて絞首刑にされた。
小帆船13隻が進水し、5万本の矢が完成すると、1521年4月21日コルテスはテスココで観兵式を行った。新たにベラクルスに着いた船からの援兵も加わっていた。
サンドバルの部隊がイスタパラパを、クリストバル・デ・オリドの部隊がコユアカンを占拠し、アルバラードの部隊がタクバを抑え、チャプルテペクからの導水渠を切断する、作戦の全体が見える小帆船の司令官にはコルテスが就いた。6月9日にはサンドバルの部隊が北の堤道を抑えるためにテペヤカクに移動した。
6月30日コルテスは市街地北部トラテロルコに集中攻撃をくわえたが、メキシコ軍の反撃が強く作戦は失敗した。

大航海時代年表 コルテス13 コルテス15
 建造された縦帆船 「コディセ・フロレンティーノ」
 3つの画像とも 古代アステカ王国 中公新書