大航海時代とルネサンス2018
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コルテス政略誌11

コルテスが苦境に陥っている時、船がサン・ホァン・デ・ウルアに着いたという連絡があった。コルテスは初め、スペインに派遣していたプエルトカレロが帰ってきたと期待した。しかし、それはキューバ総督ベラスケスがコルテスを捕らえるために派遣したナルバエスを司令官とする軍隊だった。兵員は1300人コルテスの部隊の4倍で1520年4月中旬にメキシコに着いた。
連絡を受けた時コルテスはデ・レオン大尉指揮下に150人を、デ・ランゲル大尉の指揮下に150人を偵察などに派遣していた。 モンテスーマも通常の仕事をしていたため船が現れたことを知っていた。そしてコルテスとナルバエスの関係を考えていた。
1519年4月末にコルテスは使者をスペインに派遣していた。使者のプエルトカレロとモンテホはキューバに立ち寄らず、スペインに直行するよう命じられていた。しかし彼らはキューバに立ち寄り、コルテスが黄金を手に入れたことをスペイン人に伝えた。その噂はベラスケスにも届いた。ベラスケスは使者を捕らえようとしたが、彼らは脱出し10月スペインに着いた。ベラスケスが書いたコルテスを裏切り者とする手紙は早船で送られ、宮廷の有力者の友人により早く届けられていた。二人の使者がカルロス1世に謁見できたのは1520年4月になってからだった。国王はコルテスとベラクルスの町に対し何の決定もしなかった。コルテスは国王の代理者として認めてはもらえなかった。
一方ベラスケスは船と人員を集めた。20隻の船と1300人の兵士、10門の野砲、80頭の馬、80人の小銃兵などからなる軍隊を作り上げた。ベラスケスは出発の許可を求めたが、エスパニョーラ島の副王はスペイン人同士の戦いを禁じた。ベラスケスは穏便な話し合いをするという条件で艦隊派遣の許可を受けた。副王の代理人アイロンが司令官ナルバエスを監視するために同行した。艦隊は1520年3月キューバを出港し、4月半ばにサン・ホァン・デ・ウルアに着いた。
ナルバエスはサン・ホァン・デ・ウルアでアイロンを帰国させることに成功した。