大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

ヒエロニムス・ボス 2

1500年という区切りは、人々に世紀末という気分を強く持たせたらしい。1498年デューラーが木版画「ヨハネ黙示録」で成功した頃、ボスは「愚者の船」を描き、世の中の愚かさを告発している。1500年ころのネーデルラントは洪水にたびたび襲われ、農業生産力が低下し、疫病による死者が増えていた。「最後の審判」は「楽園」より「地獄」を想わせ、ダンス・マカブル(死の舞踏)やメメント・モリ(死を想え)という言葉が広まり、神の怒りを鎮めるための祈りが捧げられた。ボスの死後まもなく、ルターによる宗教改革が始まった。
「愚者の船」というタイトルは、1494年のゼバスティアン・ブラントの同名の著作と対応している。その時代の気分を映しているとされる。「大食と肉欲の寓意(エール大学)」、「守銭奴の死」とともに祭壇画の一部だったとも考えられている。
「七つの罪源(1475〜85年頃)」は14・15世紀に毛織物業などで栄えたフランドル都市民衆の日常生活に潜む諸悪の根源を描いている。「手品師(1475〜85年頃 作者帰属に疑問)」や「石の切除手術(1475〜85年頃)」など大道芸のようなテーマは、17世紀になってオランダ風俗画に現れている。
世の中の愚かさを描いた作品の集大成が三連祭壇画「干草の車(1485〜1505頃)」。人々はつまらないはずの干草を巡って争っている。
当時のほとんどの美術作品が支配者側からの視点で描かれているが、ボスは乞食や障害者を含む社会の実情を描き出している。