十戒を授かるモーセ システィーナ礼拝堂
モーセの生涯の奥から4番目の作品。
右遠景はモーセが岩から水を出す場面とアマレク人と戦うイスラエル人の場面(出エジプト記17章)。中央中景はシナイ山でモーセが神から十戒(神がイスラエルの民に与えた10の戒律)を記した2枚の石板を授かる場面。
左前景でモーセはイスラエル人たちに十戒の石板を示し、その右は、十戒で禁じられている偶像(黄金の子牛)を礼拝するイスラエル人を見て、怒ったモーセが十戒の石板を打ち砕いている場面(出エジプト記19、20,32章)。
右前景のカップルやモーセに従うヨシュアは特定の有力者の肖像だとされている。
対面するキリストの生涯の4番目は「山上の垂訓」。
システィーナ礼拝堂 1480年代
右遠景はモーセが岩から水を出す場面とアマレク人と戦うイスラエル人の場面(出エジプト記17章)。中央中景はシナイ山でモーセが神から十戒(神がイスラエルの民に与えた10の戒律)を記した2枚の石板を授かる場面。
左前景でモーセはイスラエル人たちに十戒の石板を示し、その右は、十戒で禁じられている偶像(黄金の子牛)を礼拝するイスラエル人を見て、怒ったモーセが十戒の石板を打ち砕いている場面(出エジプト記19、20,32章)。
右前景のカップルやモーセに従うヨシュアは特定の有力者の肖像だとされている。
対面するキリストの生涯の4番目は「山上の垂訓」。
システィーナ礼拝堂 1480年代
他の画家たちと比べて力量が劣るロッセッリは「構図的着想と造形力に弱い」という自らの欠点を補うために、高価な絵具(金・ウルトラマリン)をふんだんに用いて華麗な装飾効果をねらったと伝えられる。教皇もロッセッリの豪華な装飾趣味を支持したとされ、ペルジーノの5面に次ぐ4面の壁画を担当している。
フィレンツェに戻ってしばらく裕福な暮らしをしていたが、錬金術に無駄遣いして、最後は極端な困窮に陥ったと伝えられる。1507年1月に死去、サンタ・クローチェ聖堂に葬られた。ロッセッリ Rosselli
十戒を授かるモーセ
1481〜82年 フレスコ 約340×550cm
ヴァティカーノ宮 システィーナ礼拝堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
フィレンツェに戻ってしばらく裕福な暮らしをしていたが、錬金術に無駄遣いして、最後は極端な困窮に陥ったと伝えられる。1507年1月に死去、サンタ・クローチェ聖堂に葬られた。
十戒を授かるモーセ
1481〜82年 フレスコ 約340×550cm
ヴァティカーノ宮 システィーナ礼拝堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1