テオフィルスの王子の回生と教座の聖ペテロ
「テオフィルスの王子の回生と教座の聖ペテロ」
アンティオキアとその周辺でキリスト教の説教をしていたペテロは、アンティオキアの総督テオフィルスに捕らえられ投獄された。それを知ったパウロは、総督にペテロが14年前に死んだテオフィルスの息子を蘇生させることを条件にペテロの解放を約束させた。
息子は回生し、テオフィルスとアンティオキアの住民はキリスト教に改宗、教会堂を建てその中に教皇座を設け、ペテロを据えてあがめたという物語。
左にテオフィルスの官邸、右に教皇座のある教会堂を置き、色大理石をはめ込んだ壁でつないでいる。左では一段高く座っているテオフィルスの前で、ペテロが息子を蘇生させている。右では教皇座で合掌するペテロを崇拝する僧侶・市民が描かれている。右側と左端部などをマザッチョが描き、後にフィリッピーノ・リッピが1/4ほどを描き完成させたとされている。
ブランカッチ礼拝堂 1420年代
アンティオキアとその周辺でキリスト教の説教をしていたペテロは、アンティオキアの総督テオフィルスに捕らえられ投獄された。それを知ったパウロは、総督にペテロが14年前に死んだテオフィルスの息子を蘇生させることを条件にペテロの解放を約束させた。
息子は回生し、テオフィルスとアンティオキアの住民はキリスト教に改宗、教会堂を建てその中に教皇座を設け、ペテロを据えてあがめたという物語。
左にテオフィルスの官邸、右に教皇座のある教会堂を置き、色大理石をはめ込んだ壁でつないでいる。左では一段高く座っているテオフィルスの前で、ペテロが息子を蘇生させている。右では教皇座で合掌するペテロを崇拝する僧侶・市民が描かれている。右側と左端部などをマザッチョが描き、後にフィリッピーノ・リッピが1/4ほどを描き完成させたとされている。
ブランカッチ礼拝堂 1420年代
物語は「黄金伝説」第44章によっている。
テオフィルスを当時フィレンツェと敵対していたミラノのジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの肖像(14年前に長男を暗殺されている)とし、調停の労をとっていた教皇マルティヌス5世への寓意があるとする説もある。
いったんマザッチョが完成したものを、追放されたブランカッチ家の人々の肖像を削除するためにフィリッピーノ・リッピが描き直したとする説もある。右端にはマザッチョの自画像、アルベルティ、ブルネッレスキなどの肖像が描かれているともされる。
マザッチョとフィリッピーノ・リッピ
「テオフィルスの王子の回生と教座の聖ペテロ」
1424/25〜27年 フレスコ 230×598cm
フィレンツェ サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1 画像に折り跡
テオフィルスを当時フィレンツェと敵対していたミラノのジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの肖像(14年前に長男を暗殺されている)とし、調停の労をとっていた教皇マルティヌス5世への寓意があるとする説もある。
いったんマザッチョが完成したものを、追放されたブランカッチ家の人々の肖像を削除するためにフィリッピーノ・リッピが描き直したとする説もある。右端にはマザッチョの自画像、アルベルティ、ブルネッレスキなどの肖像が描かれているともされる。
「テオフィルスの王子の回生と教座の聖ペテロ」
1424/25〜27年 フレスコ 230×598cm
フィレンツェ サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1 画像に折り跡