マエスタ(表面)
「聖母の都市」シエナの市民は熱烈に聖母を信仰した。
1311年、町中の鐘が鳴り響くなか、全市民が行列に参加して、新しい祭壇画を大聖堂まで運ぶ様子を年代記の作者は伝えている。
この祭壇画については、契約書など1308年から11年の日付をもつ史料が残されていて、この期間に主要な部分が制作された。
ドゥッチョは日給で報酬を受け取ることになっていて、職人の仕事とみなされていたが全力を尽くして制作にあたる約束をしている。聖母の玉座に「シエナには平和を、ドゥッチョには生命を与えたまえ、かくのごとくあなたを描いたのですから」と銘文を書き入れている。
13世紀末から14世紀前半、シエナは「ノーヴェ(9人評議会)」体制という共和政で、平和と繁栄を享受していた。
1311年、町中の鐘が鳴り響くなか、全市民が行列に参加して、新しい祭壇画を大聖堂まで運ぶ様子を年代記の作者は伝えている。
この祭壇画については、契約書など1308年から11年の日付をもつ史料が残されていて、この期間に主要な部分が制作された。
ドゥッチョは日給で報酬を受け取ることになっていて、職人の仕事とみなされていたが全力を尽くして制作にあたる約束をしている。聖母の玉座に「シエナには平和を、ドゥッチョには生命を与えたまえ、かくのごとくあなたを描いたのですから」と銘文を書き入れている。
13世紀末から14世紀前半、シエナは「ノーヴェ(9人評議会)」体制という共和政で、平和と繁栄を享受していた。