
聖エラスムスと聖マウリティウス
二人の聖人はともにローマのディオクレティアヌス帝時代の人物。エラスムスはアンティオキアの司教で303年に殉教した。マウリティウスはテーベの軍団の指揮官で、キリスト教徒の迫害を拒否したため、302年スイスのサン・モリッツで部隊とともに殉教した。10世紀、マウリティウスはオットー1世によって神聖ローマ帝国の守護者とされ、帝都マクデブルクの大聖堂とハレ市の守護聖人となった。
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクによってハレ(ザーレ)の参事会聖堂を飾るために依頼された。マクデブルクの大司教でもあったアルブレヒトは、自らの参事会聖堂を置くハレのマウリティウス信仰に加え、1516年にマクデブルクからエラスムスの聖遺物をハレに移してその信仰を高めようとした。この作品は1525年の参事会聖堂の目録に、マウリティウス祭壇画として記載されているのでそれ以前に制作されている。
ハレの先任の守護聖人マウリティウスが聖エラスムスに扮したアルブレヒトを出迎えている場面。エラスムスの足下にはアルブレヒトが統括する司教区、左からマインツ、マクデブルク、ハルバーシュタットの紋章が描かれている。マウリティウスを皇帝カール5世とみる説もあり、宗教改革直前の大司教と皇帝の政治的連帯を表しているともされる。
世界美術大全集14 北方ルネサンス 1520年代
グリューネヴァルト
聖エラスムスと聖マウリティウス
1525年以前 板 油彩 226×176cm
ミュンヘン アルテ・ピナコテーク
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクによってハレ(ザーレ)の参事会聖堂を飾るために依頼された。マクデブルクの大司教でもあったアルブレヒトは、自らの参事会聖堂を置くハレのマウリティウス信仰に加え、1516年にマクデブルクからエラスムスの聖遺物をハレに移してその信仰を高めようとした。この作品は1525年の参事会聖堂の目録に、マウリティウス祭壇画として記載されているのでそれ以前に制作されている。
ハレの先任の守護聖人マウリティウスが聖エラスムスに扮したアルブレヒトを出迎えている場面。エラスムスの足下にはアルブレヒトが統括する司教区、左からマインツ、マクデブルク、ハルバーシュタットの紋章が描かれている。マウリティウスを皇帝カール5世とみる説もあり、宗教改革直前の大司教と皇帝の政治的連帯を表しているともされる。
世界美術大全集14 北方ルネサンス 1520年代
聖エラスムスと聖マウリティウス
1525年以前 板 油彩 226×176cm
ミュンヘン アルテ・ピナコテーク
