
マクシミリアン 祈念墓碑建造を計画
マクシミリアン1世の父、フリードリヒ3世は建築・美術の奨励者として知られていた。フリードリヒ3世がウィーンのザンクト・シュテファン聖堂にネーデルラント出身の彫刻家を呼んで、自らの墓碑を建造させたことに倣って、1502年マクシミリアンは自らを葬送する祈念碑建造を計画した。先祖や親戚、領地の代表者、教会の守護者などを示す40体のブロンズ像を伴うもので、教皇ユリウス2世の墓碑とも比べられるものだった。ユリウス2世の墓碑は(のちに縮小されたが)ミケランジェロが設計・制作したが、マクシミリアンは人文主義者たちの助力を得ながら、基本構想・設計を自らおこなった。ローマの葬送儀式とキリスト教の奉納美術を合わせて、ハプスブルク家を讃美する意図が込められていた。
1500年代
世界美術大全集14 北方ルネサンス
1500年代
世界美術大全集14 北方ルネサンス
マクシミリアン1世はインスブルック近郊に鋳造工場を開設したが、造営作業はドイツ中の美術家の共同作業になり、複雑さと困難さのために、マクシミリアン存命中に完成したのは11〜19体だったらしい。
彫像は周囲のどこからでも見られるように独立していて、イタリア・ルネサンスの形式が反映されていた。1513年に鋳造された「アーサー王」は古代彫刻アポロンを想わせる古典的形態で、1514年に鋳造された「アルブレヒト伯」は不安感を漂わせた末期ゴシック的・バロック的形態を示している。
1514年マクシミリアンは、神聖ローマ帝国皇帝の墓所・シュパイヤーのドームに、自ら構想した、先行したドイツの皇帝・王たちの祈念碑建造を計画した。彫刻家と契約したが、実現せず未完の断片が残されている。
彫像は周囲のどこからでも見られるように独立していて、イタリア・ルネサンスの形式が反映されていた。1513年に鋳造された「アーサー王」は古代彫刻アポロンを想わせる古典的形態で、1514年に鋳造された「アルブレヒト伯」は不安感を漂わせた末期ゴシック的・バロック的形態を示している。
1514年マクシミリアンは、神聖ローマ帝国皇帝の墓所・シュパイヤーのドームに、自ら構想した、先行したドイツの皇帝・王たちの祈念碑建造を計画した。彫刻家と契約したが、実現せず未完の断片が残されている。