
ゲント祭壇画

1425年、ヤン・ファン・エイクはブルゴーニュ公国フィリップ善良公の画家兼侍従に任じられた。以後断片的な記録が残されているが、画家としてのヤンの活動を追うことはできない。35年には、給与の支払いについてのヤンの不満に対し、公が「彼ほど自分の好みに合い、技量と学識に秀でた画家はいない」と述べ、ただちに給与の支払いを命じた、と伝えられている。
ゲント(ヘント)のシント・バーフ聖堂内の礼拝堂に設置されていた祭壇画。現在、同じ聖堂内の宝物館のようなところに置かれている。 閉扉時 1430年代
ゲント(ヘント)のシント・バーフ聖堂内の礼拝堂に設置されていた祭壇画。現在、同じ聖堂内の宝物館のようなところに置かれている。 閉扉時 1430年代
枠に付された銘文に、並ぶ者なき画家フーベルトが着手し、技量では彼に次ぐ弟ヤンによって完成された、と記されている。しかしフーベルトの作品は残されていない。
フーベルトおよびヤン・ファン・エイク
Hubert and Jan van Eyck
ゲント祭壇画
1432年 板 油彩 375×260cm(閉扉時)375×520cm(開扉時)
ベルギー ゲント シント・バーフ大聖堂
世界美術大全集14 北方ルネサンス
Hubert and Jan van Eyck
ゲント祭壇画
1432年 板 油彩 375×260cm(閉扉時)375×520cm(開扉時)
ベルギー ゲント シント・バーフ大聖堂
世界美術大全集14 北方ルネサンス