
パトニ会議(独立派・平等派) 第二次内戦
スコットランドの、イングランドでも長老教会体制を採用するように、という要求に呼応した政治的グループ「長老派」。宗教的長老派はカルヴァン主義の流れをくみ、末端の教区教会を統轄する長老会の役割を重視していた。しかし全国的教会組織を作るために、国教会と類似する側面をもつようになっていた。宗教的独立派もカルヴァン主義の影響を受けていたが、末端の教会を基本単位と考えて、下から教会組織全体を純化しようとしていた。
1643年7月に始まったウェストミンスタ宗教会議は、国教会廃棄後の教会体制を議論するために開かれた。多数を占める長老派は、イギリスに長老教会体制を導入しようとし、少数の独立派はこれに抵抗した。宗教的独立派にはオランダからの帰国者も多く、クロムウェルらの政治的独立派と提携した。議会の月例説教や従軍牧師に従事することで、議会派や一般兵士の支持者を増やした。反カトリック意識を訴えながら、長老派をうちなる敵としたり、キリストの再臨による千年王国の実現を訴える牧師もいた。
議会派の支持者や議会軍参加者の多くは「セクト」と呼ばれる分離教会に所属していた。独自の教会として発展した分離教会は、教区教会の枠を越えて、1630年代から秘かに作られ、1640年代になってロンドンで多く作られて、その数を増やしていた。分離教会には小ジェントリや新興商人が支持した独立派教会や、手工業者や小商人など庶民が加入したものもあった。独立派の聖職者たちは、分離教会の代表者たちとの会合を続け、複数のプロテスタント諸教会が許容される、宗教的寛容な体制をめざした。
1643年7月に始まったウェストミンスタ宗教会議は、国教会廃棄後の教会体制を議論するために開かれた。多数を占める長老派は、イギリスに長老教会体制を導入しようとし、少数の独立派はこれに抵抗した。宗教的独立派にはオランダからの帰国者も多く、クロムウェルらの政治的独立派と提携した。議会の月例説教や従軍牧師に従事することで、議会派や一般兵士の支持者を増やした。反カトリック意識を訴えながら、長老派をうちなる敵としたり、キリストの再臨による千年王国の実現を訴える牧師もいた。
議会派の支持者や議会軍参加者の多くは「セクト」と呼ばれる分離教会に所属していた。独自の教会として発展した分離教会は、教区教会の枠を越えて、1630年代から秘かに作られ、1640年代になってロンドンで多く作られて、その数を増やしていた。分離教会には小ジェントリや新興商人が支持した独立派教会や、手工業者や小商人など庶民が加入したものもあった。独立派の聖職者たちは、分離教会の代表者たちとの会合を続け、複数のプロテスタント諸教会が許容される、宗教的寛容な体制をめざした。
ロンドンの手工業者や小商人などを基盤に「セクト」からの参加者を得ていたのが平等派と呼ばれるグループ。ジョン・リルバーンらを指導者として、1645〜46年頃から宗教的立場を越えた、政治的・経済的自由を求めていた。
1647年2月、議会が軍隊の一部を解散して、残りをアイルランドに派遣しようとした際、平等派は給与さえ満足に支払われていない一般兵士層の利害を守るために発言した。平等派の影響が一般兵士層に広がり、5月兵士たちは部隊ごとに「アジテーター」と呼ばれる兵士代表を選出し、「全軍会議」を結成した。10月、兵士たちは人民主権の立場から政治改革を求めた「正確に述べられた軍隊の主張」を発表した。この主張の急進性に驚いた独立派の軍幹部は、独立派と平等派の代表を集めた討議の場を設けた。
1647年10月末から11月にかけてパトニ会議が開催された。冒頭、兵士代表は、人民主権に基づいた共和政の構想「人民協約」を提出し、成年男子の普通選挙権などを要求した。独立派の軍幹部は、選挙権を土地所有者などの有産階級に限定しようとして譲らず、平等派の主張は受け入れられなかった。社会契約の原理によって政治的自由を求めた平等派の思想・運動は先駆的ものとされる。
議会軍内部の対立が明らかになると、反革命勢力の動きが活発になった。1648年4月、国王チャールズ1世はスコットランド軍と結んで、第二次内戦になった。独立派と平等派は一時的に和解して、8月のプレストンの戦いで国王軍は撃退された。
1640年代
世界各国史11 イギリス史
1647年2月、議会が軍隊の一部を解散して、残りをアイルランドに派遣しようとした際、平等派は給与さえ満足に支払われていない一般兵士層の利害を守るために発言した。平等派の影響が一般兵士層に広がり、5月兵士たちは部隊ごとに「アジテーター」と呼ばれる兵士代表を選出し、「全軍会議」を結成した。10月、兵士たちは人民主権の立場から政治改革を求めた「正確に述べられた軍隊の主張」を発表した。この主張の急進性に驚いた独立派の軍幹部は、独立派と平等派の代表を集めた討議の場を設けた。
1647年10月末から11月にかけてパトニ会議が開催された。冒頭、兵士代表は、人民主権に基づいた共和政の構想「人民協約」を提出し、成年男子の普通選挙権などを要求した。独立派の軍幹部は、選挙権を土地所有者などの有産階級に限定しようとして譲らず、平等派の主張は受け入れられなかった。社会契約の原理によって政治的自由を求めた平等派の思想・運動は先駆的ものとされる。
議会軍内部の対立が明らかになると、反革命勢力の動きが活発になった。1648年4月、国王チャールズ1世はスコットランド軍と結んで、第二次内戦になった。独立派と平等派は一時的に和解して、8月のプレストンの戦いで国王軍は撃退された。
1640年代
世界各国史11 イギリス史