
ルイ14世(4歳)即位 宰相マザラン
リシュリューが1642年に、ルイ13世がその翌年に死去した。ルイ14世(在位1643〜1715)は4歳だったため、母后アンヌ・ドートリッシュが摂政を務めたが、実際の政治を動かしたのは、宰相の地位に就いたマザランだった。リシュリューに後継者に指名されたマザランは、内政・外交ともにリシュリューの政策を引き継いだ。
戦争と重い負担にあえぎ、国王の代替わりによる変化を求めていた人々の新政権に対する不満が高まっていた。
1640年代
世界各国史12 フランス史
戦争と重い負担にあえぎ、国王の代替わりによる変化を求めていた人々の新政権に対する不満が高まっていた。
1640年代
世界各国史12 フランス史
1648年1月、アンヌ・ドートリッシュが増税のための王令の登録を高等法院に強制したが、パリ高等法院の次席検察官は、農民の疲弊を指摘して、王権を公然と批判した。この演説は印刷され、地方にも広まった。4月末に、官職保有者たちの俸給支払いを4年間停止とすることが決定されると、パリ高等法院、会計院、租税院、大法院の代表が集まり、7月に地方長官制の廃止、直接税タイユの4分の1減免などを含む国政改革の声明を出した。
政府批判の小冊子は、ボルドー、エクス、ルーアンなどの高等法院所在都市でも出回った。1653年にかけて5千種類の印刷物が出されたが、マザランを攻撃していたため「マザリナード」と総称された。地方長官たちは解任され、パリに戻された。
政府批判の小冊子は、ボルドー、エクス、ルーアンなどの高等法院所在都市でも出回った。1653年にかけて5千種類の印刷物が出されたが、マザランを攻撃していたため「マザリナード」と総称された。地方長官たちは解任され、パリに戻された。