
デンマーク トシュテンソン戦争
1643年トシュテンソン将軍が率いるスウェーデン軍がユランに侵攻して、「トシュテンソン戦争(スウェーデンではデンマーク戦争)」が始まった。1644年10月にデンマーク艦隊がスウェーデン・オランダ連合艦隊に大敗して、45年8月デンマークは厳しい内容の和平条約に調印せざるをえなかった。ノルウェーの2地域とゴットランド島を失い、ハッランド(スコーネの北)もスウェーデンが30年間租借することになって、スウェーデンに北欧・バルト海の覇権を奪われた。
1640年代
世界各国史21 北欧史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房 部分
1640年代
世界各国史21 北欧史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房 部分
デンマークでは、防衛に力を入れ、スウェーデンなどとの争いを回避しようとする王国参事会と覇権維持のために積極的に戦おうとするクリスチャンとが対立していた。
国内でも、社会的経済的基盤が不十分なまま重商主義的政策を性急に進めようとする王とそれに反対する王国参事会、オランダやイギリスとの衝突、度重なる戦争が国力を疲弊させていった。国家財政も逼迫し、エーアソン海峡税を引き上げたことが、トシュテンソン戦争の敗北につながった。増税策を採るためには貴族階級の協力が必要で、王は譲歩を余儀なくされ、王権は弱体化し、王国は危機に陥った。
左 1618年 右 1648年
国内でも、社会的経済的基盤が不十分なまま重商主義的政策を性急に進めようとする王とそれに反対する王国参事会、オランダやイギリスとの衝突、度重なる戦争が国力を疲弊させていった。国家財政も逼迫し、エーアソン海峡税を引き上げたことが、トシュテンソン戦争の敗北につながった。増税策を採るためには貴族階級の協力が必要で、王は譲歩を余儀なくされ、王権は弱体化し、王国は危機に陥った。
左 1618年 右 1648年
