
短期議会 長期議会 アイルランド反乱
1639年7月、チャールズ1世はスコットランドの暴動鎮圧のため、兵をスコットランドに送った(第1次主教戦争)が、抵抗されて撤退を余儀なくされた。国王は戦費調達のために議会を召集することにした。11年ぶりに、1640年4月、開催された議会は王の意向に従わず、3週間あまりで解散されたので、短期議会と呼ばれる。
1640年7月、王は再び兵を送った(第2次主教戦争)が、スコットランド軍に敗れ、賠償金の支払いを迫られた。王は支払いのため、再度議会を開かなければならなくなった。1640年11月に開会された議会は、12年半(1653年4月まで)続いたので長期議会と呼ばれる。
長期議会はさまざまな改革を断行した。
1640年11・12月 専制政治の人的支柱、ストラフォード伯と大主教ロードを逮捕、その後処刑した。
1640年代
世界各国史11 イギリス史
1640年7月、王は再び兵を送った(第2次主教戦争)が、スコットランド軍に敗れ、賠償金の支払いを迫られた。王は支払いのため、再度議会を開かなければならなくなった。1640年11月に開会された議会は、12年半(1653年4月まで)続いたので長期議会と呼ばれる。
長期議会はさまざまな改革を断行した。
1640年11・12月 専制政治の人的支柱、ストラフォード伯と大主教ロードを逮捕、その後処刑した。
1640年代
世界各国史11 イギリス史
絶対王政の支配機構を打破するために
1641年2月 3年に一度の議会召集が定められた。
1641年6月 議会の同意なき課税の禁止
1641年7月 星室裁判所と高等宗務官裁判所の廃止
1641年8月 船舶税の不法性が宣言された。
これらの諸改革は、ほぼ満場一致で進められた。議会には国教会支持者や、のちに国王派になる議員もいたが、イギリスの伝統的国政を回復するという点で一致できたらしい。
1461年秋になると、国教会体制の廃止をめぐって議会内部で分裂が始まった。国王のもつ宗教権や軍事権についての議論が分かれてきた。そのときアイルランドで反乱が起き、国王を批判する勢力が強くなった。議会のジョン・ピムに率いられたグループは、国王とロード派の悪政を列挙した「大抗議文」を作成した。国王大権の内容に踏み込んだ改革を含んでいて、11月、僅差で議会を通過した。議会は国教会派とピューリタン、国教会体制廃止後の国王派と反対派(急進派)に分裂していく。
1641年2月 3年に一度の議会召集が定められた。
1641年6月 議会の同意なき課税の禁止
1641年7月 星室裁判所と高等宗務官裁判所の廃止
1641年8月 船舶税の不法性が宣言された。
これらの諸改革は、ほぼ満場一致で進められた。議会には国教会支持者や、のちに国王派になる議員もいたが、イギリスの伝統的国政を回復するという点で一致できたらしい。
1461年秋になると、国教会体制の廃止をめぐって議会内部で分裂が始まった。国王のもつ宗教権や軍事権についての議論が分かれてきた。そのときアイルランドで反乱が起き、国王を批判する勢力が強くなった。議会のジョン・ピムに率いられたグループは、国王とロード派の悪政を列挙した「大抗議文」を作成した。国王大権の内容に踏み込んだ改革を含んでいて、11月、僅差で議会を通過した。議会は国教会派とピューリタン、国教会体制廃止後の国王派と反対派(急進派)に分裂していく。