
スコットランドで「国民契約」が成立
1637年、チャールズ1世とロード大主教は、長老教会主義を国教にしていたスコットランドに、イングランド国教会の儀式と祈祷書を強制した。これに対してエディンバラで暴動が起き、翌1638年2月にはスコットランド人の団結を誓う「国民契約」が成立した。
チャールズは1639年4月と1640年7月、兵をスコットランドに送ったが、どちらも敗れてしまった。
1630年代
世界各国史11 イギリス史
チャールズは1639年4月と1640年7月、兵をスコットランドに送ったが、どちらも敗れてしまった。
1630年代
世界各国史11 イギリス史
1641年10月、イングランドに支配されていたアイルランドで反乱が起き、数千人のイングランド人が殺害された。これが誇張されて20〜30万人の大虐殺と伝えられ、アイルランド人やカトリック教徒が武装蜂起するという噂や、王がアイルランド兵を用いて秩序維持を図るという話が広がり、各地でパニックが起きた。
スコットランドでの暴動とアイルランドでの反乱、ふたつの出来事がピューリタン革命の導火線になった。
スコットランドでの暴動とアイルランドでの反乱、ふたつの出来事がピューリタン革命の導火線になった。