
ドン・カザーク アゾフ要塞を占拠 「動乱」後のロシア
1637年、ドン・カザークの部隊がトルコのアゾフ要塞を占拠して、モスクワに軍事的援助を求めてきた。スルタンはオスマン帝国内のすべての正教徒住民を根絶すると脅してきた。ロシアにはオスマン帝国と戦うための資金はなく、1642年、ミハイルはドン・カザークに要塞の放棄を命じた。
イヴァン雷帝没後の「動乱」は経済的にも破局をもたらしていた。人口は大きく減少し、耕地の多くは荒れ果て、各地で盗賊や農民の暴動が頻発していた。税負担を逃れるために貴族や修道院などの「託身民」となる者も多かった。
中央部とノヴゴロド地区に封地を持つ領主たち、軍の主力だった士族たちは集団嘆願書を提出して、政府に自らの苦境を訴えている。裁判制度の改革、南部地方での土地の下賜、逃亡農民の捜索期限5年の撤廃を求めている。士族たちが軍務に就いている間に、農民たちが逃亡、あるいは連れ去られていた。捜索期限は9年そして10年、「連出し」には15年とされたが、全面的な撤廃にはならなかった。
イヴァン雷帝没後の「動乱」は経済的にも破局をもたらしていた。人口は大きく減少し、耕地の多くは荒れ果て、各地で盗賊や農民の暴動が頻発していた。税負担を逃れるために貴族や修道院などの「託身民」となる者も多かった。
中央部とノヴゴロド地区に封地を持つ領主たち、軍の主力だった士族たちは集団嘆願書を提出して、政府に自らの苦境を訴えている。裁判制度の改革、南部地方での土地の下賜、逃亡農民の捜索期限5年の撤廃を求めている。士族たちが軍務に就いている間に、農民たちが逃亡、あるいは連れ去られていた。捜索期限は9年そして10年、「連出し」には15年とされたが、全面的な撤廃にはならなかった。
イギリスやオランダなどプロテスタント諸国の商人や企業家は、ツァーリ政府の保護のもとに工場を建て、その利益を独占していた。アンドレイ・ヴィニウスがトゥーラに建てた鉄工場は1637年に操業を始め、国家の軍事的需要に応える精銅・ガラス・製紙などのプラントも建設された。
外国人商人たちも白海の国際貿易港アルハンゲリスク経由の外国貿易や卸売りだけでなく、ロシア人商人を使った小売業にも進出していた。危機感を強めたロシア人商人たちは、1627年以降、何度も政府に嘆願書を出して、外国人商人の排除を訴えていた。大商人(ゴスチ)は外国貿易、土地所有などの諸特権のかわりに政府の代理人として各種の事業に携わった。
1630年代
世界各国史22 ロシア史
外国人商人たちも白海の国際貿易港アルハンゲリスク経由の外国貿易や卸売りだけでなく、ロシア人商人を使った小売業にも進出していた。危機感を強めたロシア人商人たちは、1627年以降、何度も政府に嘆願書を出して、外国人商人の排除を訴えていた。大商人(ゴスチ)は外国貿易、土地所有などの諸特権のかわりに政府の代理人として各種の事業に携わった。
1630年代
世界各国史22 ロシア史