
30年戦争 第3段階 スウェーデン戦争
30年戦争 第3段階 スウェーデン戦争(1630〜34)
1630年7月、選帝侯たちは宗派をこえて、皇帝権の危険な強化はヴァレンシュタインが原因だと考えて、彼の罷免を皇帝に迫った。皇帝も長子フェルディナントの国王への選出を考えていたため、この要求を受け入れた。
同じ頃、スウェーデンのグスタフ・アドルフ(在位1611〜32)は、フランスなどからの資金援助を受けて、プロテスタント擁護のために軍を率いて30年戦争に介入してきた。ドイツの国内紛争から国際戦争へと変わっていった。
1631年、ティリー将軍の皇帝軍がマクデブルクを占領し、町を徹底的に破壊したとき、それまで皇帝に忠誠を誓っていたザクセンやブランデンブルクなどのプロテスタント諸侯も、スウェーデンと同盟、ライプツィヒ近郊で皇帝軍を破った。その後スウェーデン軍は勝利を重ね、前線は南下した。
1630年代
世界各国史13 ドイツ史
1630年7月、選帝侯たちは宗派をこえて、皇帝権の危険な強化はヴァレンシュタインが原因だと考えて、彼の罷免を皇帝に迫った。皇帝も長子フェルディナントの国王への選出を考えていたため、この要求を受け入れた。
同じ頃、スウェーデンのグスタフ・アドルフ(在位1611〜32)は、フランスなどからの資金援助を受けて、プロテスタント擁護のために軍を率いて30年戦争に介入してきた。ドイツの国内紛争から国際戦争へと変わっていった。
1631年、ティリー将軍の皇帝軍がマクデブルクを占領し、町を徹底的に破壊したとき、それまで皇帝に忠誠を誓っていたザクセンやブランデンブルクなどのプロテスタント諸侯も、スウェーデンと同盟、ライプツィヒ近郊で皇帝軍を破った。その後スウェーデン軍は勝利を重ね、前線は南下した。
1630年代
世界各国史13 ドイツ史
1632年、皇帝はヴァレンシュタインを再び皇帝軍の総司令官に任命、戦争は長期化した。グスタフ・アドルフは1632年のリュッツェンの戦いで戦死したが、スウェーデン軍は勝利を重ね、南ドイツまで進軍した。ヴァレンシュタインは独断でスウェーデンと和平を交わしたりして皇帝に疑われ、1634年皇帝が派遣した軍隊によって殺害された。
1634年、スペインの援軍を受けた皇帝軍はネルドリンゲンの戦いでスウェーデン軍を破り、その勢いを止めた。皇帝はスウェーデンと、翌年にはザクセンと和平を結び、「復旧勅令」の遂行を断念することでスウェーデン戦争が終わった。
しかし、ここでスペインとオーストリアのハプスブルク家に対抗して、フランスが進軍してきた。スウェーデンも再び介入し膠着状態が続いた。1641年には和平交渉をおこなう約束ができたが、交渉が始まったのは45年だった。
1634年、スペインの援軍を受けた皇帝軍はネルドリンゲンの戦いでスウェーデン軍を破り、その勢いを止めた。皇帝はスウェーデンと、翌年にはザクセンと和平を結び、「復旧勅令」の遂行を断念することでスウェーデン戦争が終わった。
しかし、ここでスペインとオーストリアのハプスブルク家に対抗して、フランスが進軍してきた。スウェーデンも再び介入し膠着状態が続いた。1641年には和平交渉をおこなう約束ができたが、交渉が始まったのは45年だった。