
プロテスタント 国王顧問官を窓外に放出
オーストリア世襲領では、16世紀後半にはいくつかの地方で貴族に信仰の自由が認められていた。しかしハプスブルク家のカトリック強制圧力が強まり、1596年以降大公フェルディナント2世(皇帝在位1619〜37)が強硬な「異端根絶策」を実施して、プロテスタント勢力は大きく減少させられた。そのフェルディナントが1617年以降、実質的にボヘミア諸邦の統治を任されたことで、ボヘミアのプロテスタント貴族の危機感が強まっていた。
1618年5月、宗教会議の開催を禁じられたプロテスタントが激昂し、二人の国王顧問官を王宮の窓から放出する事件が起きた。1419年のフス派による事件に次ぐ、プラハで二度目の「窓外放出事件」。
1618年5月、宗教会議の開催を禁じられたプロテスタントが激昂し、二人の国王顧問官を王宮の窓から放出する事件が起きた。1419年のフス派による事件に次ぐ、プラハで二度目の「窓外放出事件」。
反乱貴族たちは新政府を作り、軍隊を集め、オーストリアのプロテスタント系諸侯にも働きかけて勢力を広げた。1619年8月の議会で1554年の国会決議を破棄して、フェルディナントを罷免し、新教同盟のプファルツ選帝侯フリードリヒ5世(選帝侯位1610〜23、ボヘミア王位1619〜20)を新国王に選出した。ドイツのカルヴァン派とボヘミアのプロテスタント諸侯が政治的に結びついた。
1610年代
世界各国史13 ドイツ史
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
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