
ハンガリー ボチカイの反乱
ハンガリー東部の大貴族ボチカイ・イシュトヴァーン(在位1605〜06)が、ハンガリー貴族の伝統的特権と信仰の自由を守るために、ハプスブルク家との対決に立ち上がった。はじめは対決に躊躇する貴族たちではなく、牛追いや貧農を起源とするハイドゥーと呼ばれた武装集団の軍事力によっていたが、ボチカイは北部ハンガリーで勝利を重ね、1605年には議会でトランシルヴァニア侯に選出された。
1600年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
1600年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
1606年のウィーンの和約で反乱は終結。ハンガリー貴族は皇帝側にトランシルヴァニアの独立と自らの諸特権と信仰の自由の保障を確認させた。ハイドゥーたちには封建的諸負担の免除と定住地の付与が約束された。
16〜17世紀、トランシルヴァニア侯はハンガリー貴族の自由と信仰の擁護者でありつづけ、カトリックの守護者で絶対主義的権力の象徴だったハプスブルク皇帝と対置されていた。
16〜17世紀、トランシルヴァニア侯はハンガリー貴族の自由と信仰の擁護者でありつづけ、カトリックの守護者で絶対主義的権力の象徴だったハプスブルク皇帝と対置されていた。