
反カトリック意識 国王と宮廷が標的に
1605年11月、カトリック教徒が議会に爆薬をしかけ、議員と国王ジェイムズ1世を爆殺しようとした火薬陰謀事件が未然に発覚した。反カトリック意識を強く刺激する政治的・宗教的事件だった。
(今日では首謀者の名前から、その記念日11月5日が「ガイ・フォークス・デイ」と呼ばれ、お祭り騒ぎとして知られる)
メアリ時代のプロテスタント迫害を描いたジョン・フォックスの「殉教者の書(1563年)」などによって、反カトリック意識が広まった。この反カトリック意識はイギリス人の「神に選ばれた国民」であるという国民感情とも関連し、1588年にスペイン無敵艦隊を破ったことでより強くなった。
スペインやフランスといったカトリック強国の脅威、ローマ教皇やイエズス会の圧力などが「新興国」イギリスに反カトリック意識をもたせたともいえる。
1600年代
(今日では首謀者の名前から、その記念日11月5日が「ガイ・フォークス・デイ」と呼ばれ、お祭り騒ぎとして知られる)
メアリ時代のプロテスタント迫害を描いたジョン・フォックスの「殉教者の書(1563年)」などによって、反カトリック意識が広まった。この反カトリック意識はイギリス人の「神に選ばれた国民」であるという国民感情とも関連し、1588年にスペイン無敵艦隊を破ったことでより強くなった。
スペインやフランスといったカトリック強国の脅威、ローマ教皇やイエズス会の圧力などが「新興国」イギリスに反カトリック意識をもたせたともいえる。
1600年代
17世紀になると、スペインに衰退のきざしが見えて、アイルランドにイングランド人・スコットランド人が入植したことで、アイルランドを拠点にスペインが侵攻する可能性が低くなった。またフランスはイングランドとスコットランドが同君連合になって、スコットランドからの侵入ができなくなった。
ジェイムズ1世は親スペイン政策、親フランス政策でイギリスの安全を確保しようと考えたらしい。しかしそれは、スペイン、フランスに従属的な姿勢をとっているようにもみえた。さらに宮廷にカトリックの司祭がおかれたことで、国民の警戒感が強まった。1618年に始まった30年戦争では、プロテスタント側にたって参戦することが期待されたが、国王は財政難を理由に参戦せず、スペインに従属的な態度をとっていると議会から非難された。国王と宮廷は、しだいに反カトリック意識の標的になっていった。
世界各国史11 イギリス史
ジェイムズ1世は親スペイン政策、親フランス政策でイギリスの安全を確保しようと考えたらしい。しかしそれは、スペイン、フランスに従属的な姿勢をとっているようにもみえた。さらに宮廷にカトリックの司祭がおかれたことで、国民の警戒感が強まった。1618年に始まった30年戦争では、プロテスタント側にたって参戦することが期待されたが、国王は財政難を理由に参戦せず、スペインに従属的な態度をとっていると議会から非難された。国王と宮廷は、しだいに反カトリック意識の標的になっていった。
世界各国史11 イギリス史