
ポーレット法
アンリ4世のもとで、宗教戦争で混乱した秩序と国土の回復が図られた。アンリを支えたのは、プロテスタントのシュリー公や旧教同盟と対抗していた時期に周囲に集まったカトリック(ポリティーク派)の人々だった。
アンリは宗教戦争期に強く自律性を示していた大貴族や旧教同盟の拠点となっていた都市を服従させることに、そして財務卿に任命されたシュリーは財政再建と重商主義政策による産業振興に、それぞれ努めた。
1604年のポーレット法は売官制を公認したが、ブルジョワ層を行政機構に参入させ、王権の支持基盤を拡大させて、官僚機構が充実した。アンリ4世の宮廷は、官僚機構で地方を支配するようになり、各地を巡らず、パリとその周辺に止まるようになった。
アンリは宗教戦争期に強く自律性を示していた大貴族や旧教同盟の拠点となっていた都市を服従させることに、そして財務卿に任命されたシュリーは財政再建と重商主義政策による産業振興に、それぞれ努めた。
1604年のポーレット法は売官制を公認したが、ブルジョワ層を行政機構に参入させ、王権の支持基盤を拡大させて、官僚機構が充実した。アンリ4世の宮廷は、官僚機構で地方を支配するようになり、各地を巡らず、パリとその周辺に止まるようになった。
1610年、ブルボン朝の基礎が築かれはじめたとき、アンリ4世は熱狂的なカトリック信者によって刺殺された。組織的な背景はないとされるが、ナントの王令はカトリック、プロテスタントをともに満足させるものではなく、宗教対立はまだ続いていた。
アンリ4世については
「フランス・ルネサンスの人々」渡辺一夫著 岩波文庫
ある王公の話 もお読み下さい。
1600年代
世界各国史12 フランス史
アンリ4世については
「フランス・ルネサンスの人々」渡辺一夫著 岩波文庫
ある王公の話 もお読み下さい。
1600年代
世界各国史12 フランス史