
サン・ジュリアンの和約
1584年、ジュネーヴはベルンとチューリヒとの間で都市同盟を結んだ。以後ジュネーヴは従属邦としてスイスに入った。サヴォワ家はジュネーヴ支配を諦めてはいなかった。1602年12月エスカラード(梯子作戦)と呼ばれる夜襲をかけたが、ジュネーヴの警戒のため失敗した。
1603年サン・ジュリアンの和約でジュネーヴは正式に独立を達成、サヴォワ家がヴォー地方の支配権を諦めたため、ヴォー地方もスイスの領域に入ることになった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1600年代
1603年サン・ジュリアンの和約でジュネーヴは正式に独立を達成、サヴォワ家がヴォー地方の支配権を諦めたため、ヴォー地方もスイスの領域に入ることになった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1600年代
この頃東スイスでアペンツェル邦の分裂があった。新旧両派が混在していた地域だったが、各ゲマインデ(住民集会)ごとの多数決で宗教の選択をすることになっていて、少数派もそこに止まることが許されていた。対抗宗教改革でカプチン会修道院がつくられると両派の対立が強まった。盟約者団会議も分裂していたので、仲裁裁定で邦を二つに割ることになった。1596年カトリックのアペンツェル・インナーローデンと改革派のアペンツェル・アウサーローデンに別れ、盟約者団に対する邦の権利も二分、現在も半カントンのままとどまっている。
スイスでは激しい宗派対立が続いたが、ゆるい結合体の盟約者団が分裂することはなかった。スイス人意識を高める動きもあって、スイス年代記の出版、テルや隠修士ニクラウスを主人公にした演劇などの上演があった。
スイスでは激しい宗派対立が続いたが、ゆるい結合体の盟約者団が分裂することはなかった。スイス人意識を高める動きもあって、スイス年代記の出版、テルや隠修士ニクラウスを主人公にした演劇などの上演があった。