
救貧法 東方貿易の会社設立
エリザベスの治世当初、毛織物貿易は不振だったが、凶作や疫病の被害からは免れていた。イングランド製毛織物の主要な貿易市場だったアントウェルペンは、ネーデルラント独立運動の中で没落してしまった。その結果、イングランドの毛織物産業は深刻な不況になり、失業者も増加した。16世紀には人口も増え、物価も上昇を続けた。1601年社会不安の解決策として制定されたのが「救貧法」だった。教区ごとに救貧税を徴収し、貧民対策にあてられることになっていたが、失業者や浮浪者を働くことができるのに、仕事をしない犯罪者とみなすなど、懲罰的色彩が強いものだった。
あらたな貿易市場を求めて、モスクワ会社(1555年 メアリ時代)、レヴァント会社(1592年)、東インド会社(1600年)などの東方貿易の会社が設立された。アジアへ向かうあらたな北東航路の開拓や、北米での植民地建設の試みなど、後の大英帝国への準備ともなった。地方のジェントリのなかには、領内の産業育成と雇用確保のために「実験企業」を起こす者も現れた。靴下編み産業、薄手の新毛織物、石鹸、製紙などの新しい産業が、ときには国王の独占特許をえて、成長していった。
1600年代
世界各国史11 イギリス史
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