
スウェーデン シーギスムンドを廃位
1599年、スウェーデン議会は国王シーギスムンド(兼ポーランド王、在位1592〜99)をウップサーラ宗教決議違反として廃位した。(1590年代の内戦でプロテスタント派が勝利し、カトリック教徒のシーギスムンドはスウェーデンでの権力を失った。)
以後、その叔父カールが事実上の王として統治し、1604年にカール9世(在位1604〜11)として即位した。カール9世はルター派の宗教改革を徹底し、貴族の力を削減するとともに王権の強化につとめた。そのため有力貴族に対する粛清をおこない、議会を頻繁に開いて人々の支持を求めた。身分の低い官僚も取り立て、名門大貴族出身のオクセンシャーナもカールに重用された。
以後、その叔父カールが事実上の王として統治し、1604年にカール9世(在位1604〜11)として即位した。カール9世はルター派の宗教改革を徹底し、貴族の力を削減するとともに王権の強化につとめた。そのため有力貴族に対する粛清をおこない、議会を頻繁に開いて人々の支持を求めた。身分の低い官僚も取り立て、名門大貴族出身のオクセンシャーナもカールに重用された。
シーギスムンドは廃位を認めず、スウェーデン王位を主張して、両国の関係は悪化した。1605年のボリス・ゴドノフ死去後のロシアの混乱で、カールは息子をロシア皇帝にする期待もあって、1609年から軍事介入をおこなった。これにはシーギスムンドがロシア皇帝位を得ようとする企てを阻む意図もあった。
東方での軍事行動を支えるためのバルト海封鎖だったが、デンマークと対立し、1611年にカルマル戦争が始まった。ロシア・ポーランド・デンマークと対立する状況でカール9世は死去した。
1590年代
世界各国史21 北欧史
東方での軍事行動を支えるためのバルト海封鎖だったが、デンマークと対立し、1611年にカルマル戦争が始まった。ロシア・ポーランド・デンマークと対立する状況でカール9世は死去した。
1590年代
世界各国史21 北欧史
