
バーリ卿死去 エリザベス治世末期
テューダー朝の政治の舞台は宮廷だった。国王を頂点にした恩顧関係が支配していた。称号、官職、独占特許など、さまざまな名誉や権益を求めさせて国王への求心力を強め、恩顧(パトロネジ)を与えて忠誠心を高めさせた。また恩恵を求める人々と国王の仲介をすることで、宮廷内の有力者を中心とする派閥がつくられた。エリザベスの治世前半には、バーリ卿ウィリアム・セシルとレスタ伯ロバート・ダドリの派閥が競ったが、十分な官僚組織をもたない女王は、派閥間のバランスをとることで統治を機能させていた。
1590年代になって宮廷内派閥の世代交代が進んだ。長期化したスペインとの戦争、凶作と飢餓、インフレ、疫病、食糧暴動などが続き、海外の植民地建設も社会問題の解決策のひとつだった。
1590年代
世界各国史11 イギリス史
1590年代になって宮廷内派閥の世代交代が進んだ。長期化したスペインとの戦争、凶作と飢餓、インフレ、疫病、食糧暴動などが続き、海外の植民地建設も社会問題の解決策のひとつだった。
1590年代
世界各国史11 イギリス史
エリザベス即位以来、40年間国政を掌握していたバーリ卿の死(1598年)によって時代が変わった。バーリ卿の息子ロバート・セシルとレスタ伯の義理の息子エセックス伯ロバート・デヴルーが覇を競った。パトロネジ独占をめざしたエセックス伯は1601年、無謀な蜂起を企て、失敗して処刑された。以後すべてのパトロネジはロバート・セシルに集中していく。
独占特許は本来、実験企業育成のために与えられていたが、しだいに売買されるパトロネジのひとつとして乱発されるようになっていた。それに議会が不満を示し、国王大権のひとつとして特許を付与する女王との間に対立が生まれた。財政逼迫のため議会の協力を必要としていた女王がおれ、特許の一部を撤回する国王布告を出すことで議会の不満を抑えた。
独占特許は本来、実験企業育成のために与えられていたが、しだいに売買されるパトロネジのひとつとして乱発されるようになっていた。それに議会が不満を示し、国王大権のひとつとして特許を付与する女王との間に対立が生まれた。財政逼迫のため議会の協力を必要としていた女王がおれ、特許の一部を撤回する国王布告を出すことで議会の不満を抑えた。