
遠国会社設立 アジア航路
オランダは当初ポルトガルを警戒して、北極回りでアジアへ向かう航路を探していたが、1596年にこれを諦めた。最初のアジアへの航海は、1594年にアムステルダムに設立された遠国会社によって計画された。1595年4月、デ・ハウトマンの指揮下に4隻(240人)の船団がアジアへ向かい、96年6月ジャワに到着し、97年8月に3隻(87人)が帰国した。香辛料取引は成功とはいえなかったが、アジアへの航海は成功した。96年にはオランダ人旅行家リンスホーテンの「東洋案内記」が出版され、インドへの航路やインド近海の事情がわかってきた。
1598年から先駆諸会社が相次いで設立され、1601年までに15船団65隻がアジアへ向かった。香辛料取引に成功した会社もあったが、アジアで競合することで、香辛料の買値が上がり、本国での売値が下がる状況も生まれた。1600年にイギリスが東インド会社を設立したこともオランダにとっては脅威だった。
1590年代
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
ハウトマン、ファン・ネック「東インド諸島への航海」は大航海時代叢書 第2期10 岩波書店 で読める。
1590年代
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
ハウトマン、ファン・ネック「東インド諸島への航海」は大航海時代叢書 第2期10 岩波書店 で読める。