
ハプスブルク家 オスマンと15年戦争開始
1591年まで長期の休戦状態にあった、オスマンとハプスブルクで15年戦争が始まった。財政に苦しむハプスブルクと軍事・政治組織が弛緩・変容していたオスマンとの戦いは長引き、戦争目的がハプスブルクとオスマンの対抗から、トランシルヴァニアの支配権の争いへと変わっていった。
1590年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
地図は ヨーロッパ歴史地図 原書房
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
地図は ヨーロッパ歴史地図 原書房
ワラキアの勇敢侯ミハイは、オスマン軍を退け、一時トランシルヴァニアを占拠し、ワラキア、モルドヴァ、トランシルヴァニアの統合を成し遂げた。しかしトランシルヴァニア貴族とハプスブルク家はミハイの支配を認めず、皇帝軍がトランシルヴァニアに派遣された。トランシルヴァニアを制圧した皇帝軍は略奪と暴力の恐怖政治をしき、その蛮行と非寛容さは、親ハプスブルクのハンガリー貴族にも不信感を持たせ、ボチカイの反乱(1505年)をまねく。
