
カトー・カンブレジ条約
1554年、カール5世はナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ王国を、55年にはミラノ公国とネーデルラントを息子フェリーペに譲渡した。56年には自らは隠退して、スペインをフェリーペ2世に相続させ、帝位は弟フェルディナント1世に継承させた。ミラノは神聖ローマ帝国のイタリア支配の拠点だったが、スペイン国王に帰属することになった。
1547年にフランソワを継いだ息子のフランス国王アンリは、51年にアルプス以北でカールとの戦いを再開したが、57年のサン・カンタンの戦いで大敗し、59年にフェリーペとカトー・カンブレジ条約を結んだ。イタリア戦争を終わらせたこの条約で、スペインはフランスへの内政干渉を止め、フランスはイタリアから軍隊を撤退し、領土を回復したサヴォイア公は両者のあいだでの中立を約束した。
フェリーペは、1561年からマドリードを拠点にスペイン帝国を統治したが、イタリアの属国の統治は、政府の一機関として57頃に創設された「イタリア諮問会議」によって検討された。統治する代官は、カールの時代は、イタリアを含むカールの支配地域から選出され、長い任期で現地の事情による統治をおこなっていた。フェリーペの時代になると、カスティーリャから選出され、短い任期で頻繁に交替するようになった。
スペインの戦費の負担などがあったが、イタリア諸国はおおむね平和な時代をむかえた。
1550年代
世界各国史15 イタリア史
1547年にフランソワを継いだ息子のフランス国王アンリは、51年にアルプス以北でカールとの戦いを再開したが、57年のサン・カンタンの戦いで大敗し、59年にフェリーペとカトー・カンブレジ条約を結んだ。イタリア戦争を終わらせたこの条約で、スペインはフランスへの内政干渉を止め、フランスはイタリアから軍隊を撤退し、領土を回復したサヴォイア公は両者のあいだでの中立を約束した。
フェリーペは、1561年からマドリードを拠点にスペイン帝国を統治したが、イタリアの属国の統治は、政府の一機関として57頃に創設された「イタリア諮問会議」によって検討された。統治する代官は、カールの時代は、イタリアを含むカールの支配地域から選出され、長い任期で現地の事情による統治をおこなっていた。フェリーペの時代になると、カスティーリャから選出され、短い任期で頻繁に交替するようになった。
スペインの戦費の負担などがあったが、イタリア諸国はおおむね平和な時代をむかえた。
1550年代
世界各国史15 イタリア史
