
メアリ1世 スペイン皇太子フェリペと結婚
メアリ治世の基本はカトリック復活と母キャサリンの母国である親スペイン政策だった。早くから庶民院はイングランド人の夫をむかえるように請願していたが、メアリはスペイン皇太子フェリペ(のちのフェリペ2世)との結婚の意向を明らかにした。
メアリの結婚によるスペインとの同盟を嫌った一部の貴族とジェントリによっていくつかの反乱が計画された。1554年に起きたワイアットの反乱は、メアリを一時危機的な状況に追い込んだが、ロンドンが女王支持にとどまったため鎮圧された。この反乱にプロテスタントの影響をみたメアリは、反プロテスタント政策を強化していった。
メアリとフェリペは、結婚によってフェリペにも「王位」が認められるように望んだが、議会が反対し、フェリペのイングランドでの王としての権威は、メアリと夫婦であるかぎりで認められた。
1550年代
メアリの結婚によるスペインとの同盟を嫌った一部の貴族とジェントリによっていくつかの反乱が計画された。1554年に起きたワイアットの反乱は、メアリを一時危機的な状況に追い込んだが、ロンドンが女王支持にとどまったため鎮圧された。この反乱にプロテスタントの影響をみたメアリは、反プロテスタント政策を強化していった。
メアリとフェリペは、結婚によってフェリペにも「王位」が認められるように望んだが、議会が反対し、フェリペのイングランドでの王としての権威は、メアリと夫婦であるかぎりで認められた。
1550年代
1556年スペイン王となったフェリペは、教皇と結んだフランスと対立して戦争になった。フェリペの要請でイングランドもフランスに宣戦するが、1558年にイングランドの大陸最後の領土カレーを奪われた。イングランドにとって衝撃だったが、大陸から新世界へ目を向ける転機ともなった。
教皇庁との関係も悪化して、教皇パウルス4世は、カトリック復活の中心となったプールを異端の疑いで取り調べるため、ローマに召喚しようとした。メアリは審査の権限はまずイングランドにあるとして拒否し、教皇との関係は冷え込んだ。
財政改革はノーサンバランド公の改革を引き継ぎ、財務府を再編・活性化し、あらたな貨幣改鋳を準備した(実施はエリザベス時代)。関税徴収の効率化も図り、関税収入は増加した。
子供には恵まれないまま、1558年11月メアリは生涯を閉じた。
世界各国史11 イギリス史
教皇庁との関係も悪化して、教皇パウルス4世は、カトリック復活の中心となったプールを異端の疑いで取り調べるため、ローマに召喚しようとした。メアリは審査の権限はまずイングランドにあるとして拒否し、教皇との関係は冷え込んだ。
財政改革はノーサンバランド公の改革を引き継ぎ、財務府を再編・活性化し、あらたな貨幣改鋳を準備した(実施はエリザベス時代)。関税徴収の効率化も図り、関税収入は増加した。
子供には恵まれないまま、1558年11月メアリは生涯を閉じた。
世界各国史11 イギリス史