
ノーサンバランド公 貨幣の改鋳
「ケットの乱」を鎮圧したウォリック伯ジョン・ダドリは保守派の支持を得て、サマセット公を失脚させて権力を握った。1551年にノーサンバランド公になり、翌年にはサマセット公を謀反のかどで処刑した。
戦費負担が重い対フランス・スコットランド戦争を講和に持ち込んだが、教会に関しては保守派が期待していたヘンリ8世時代への回帰とはならず、国王エドワードの改革続行の意向に迎合した。教会からの収奪も期待して、教区教会から宝石類やカトリックの礼拝用具などが没収された。
ノーサンバランド公の政策で注目されるのは、ヘンリ8世時代から繰り返されてきた貨幣の悪鋳によるインフレ対策。トマス・グレシャムらによって進められた品質の良い貨幣への改鋳によって通貨の信用が高まった。ただ「悪鋳」による為替レートの低下で輸出を伸ばしてきた毛織物産業が、「良貨」のために急騰した為替レートによって輸出にブレーキがかかった。イングランド経済は世紀の後半、一転して不況になった。
戦費負担が重い対フランス・スコットランド戦争を講和に持ち込んだが、教会に関しては保守派が期待していたヘンリ8世時代への回帰とはならず、国王エドワードの改革続行の意向に迎合した。教会からの収奪も期待して、教区教会から宝石類やカトリックの礼拝用具などが没収された。
ノーサンバランド公の政策で注目されるのは、ヘンリ8世時代から繰り返されてきた貨幣の悪鋳によるインフレ対策。トマス・グレシャムらによって進められた品質の良い貨幣への改鋳によって通貨の信用が高まった。ただ「悪鋳」による為替レートの低下で輸出を伸ばしてきた毛織物産業が、「良貨」のために急騰した為替レートによって輸出にブレーキがかかった。イングランド経済は世紀の後半、一転して不況になった。
ノーサンバランド公の世評は、その狷介さや貪欲さのために良くなかったが、病弱なエドワード6世の余命を察したことで、その権力欲があらわになった。王位継承法でエドワードの死後には、メアリの即位が決まっていた。カトリック教徒のメアリが、プロテスタント改革を進めたノーサンバランド公を受け入れるはずはなく、失脚すると思われた。そのため彼は、メアリの信仰を嫌っていたエドワードに、メアリとエリザベスの王位継承権を奪い、ヘンリ7世の曾孫で自らの息子の妻ジェイン・グレイへの王位継承を指示する遺言書をつくらせた。新国王の義父としての権力維持を図ったが、エドワード死去の際にメアリの身柄確保に失敗した。ジェインが即位を宣言したが、メアリがサフォークで即位宣言して大勢が決まった。ノーサンバランド公は捕らえられ、大逆罪で処刑された。
1550年代
世界各国史11 イギリス史
1550年代
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